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ねずさんのブログよりの転載です。

明治の初めに日本にやってきた外国人は、日本の町や道路が、都市部でも田舎でも、ゴミひとつ落ちていないことに驚きの記録を遺しています。
そもそも私達が子供の頃、「公道脇の草取り」は学校で生徒たちが動員されて行われることがありましたが、「公道脇のゴミ拾い」という行事はありませんでした。
あたりまえのことです。
道路は田畑に隣接していました。
道路が汚れれば田畑が汚れます。
田畑が汚れれば、作物が汚れます。
その汚れた作物を食べるのは、私達自身です。

古事記で火之迦具土神を生んで亡くなったイザナミを追って、夫のイザナキがて黄泉(よみ)の国に向かいます。
原文を七五読みしてみます。

****
ここにおひては
於是、
そのいもの いざなみの みことをみむと おもほして
欲相見其妹伊耶那美命
よみのくにまで おひゆきし
追往黄泉国
しかしてとのの かがりのとより
尓自殿騰戸
いでむかふとき
出向之時
いざなきの みことかたりて のらすには
伊耶那岐命語詔之
いとしきあれの なにものみこと
「愛我那迩妹命
あれといましで つくれるくには 
 吾与汝所作之国
いまだつくりを おへぬゆへ かへるべし
 未作竟故可還」
しかしては いざなみ みことこたへて まをすには
尓伊耶那美命答白
くやしきや とくきまさぬは
「悔哉、不速来
あはよみで へくひなす
 吾者為黄泉戸喫」
*****

文中にある「殿騰戸(とのの かがりのと)」というのは、大きな屋敷(ここでは黄泉の国の宮殿)の門の脇に設(しつら)えた小さな通用口のことを言います。
ここでは「殿」が御殿や宮殿を意味する漢字として用いられていますが、我が国では宮殿といっても、そこはいまでいうなら市庁舎か県庁舎といったような意味で、君主の家族やそこで働く人々がいる建物をいいます。
戦国以降のお城にしても、その城は大きなものであったとしても、あくまで戦いを行う武士たちが集う場所でしかありません。

けれども世界標準といえばすこし大げさですが、大陸では殿といえば城塞都市のことをいいます。
簡単にいえば、たとえば東京の世田谷区をまるごと城壁で囲んだところであり、そこには君主や武士たちだけでなく、一般の民衆までもが一緒に暮らせる、広大なエリアをまるごと囲った場所のことをいいます。
従って、ここでいう黄泉の国の騰戸(かがりど)というのは、そういう黄泉の国をまるごと囲った城壁に設(しつら)えた城門の脇にある通用口、といった意味になります。

その通用口で、イザナキはイザナミに次のように言います。
「愛(いと)しい我が妻よ。
 お前と私で行った国作りは
 まだ終わっていない。
 だから、一緒に帰ってきておくれ」
これに対してイザナミが答えます。
「くやしいです。
 どうしてもっとはやく来てくださらなかったのですか?
 私はもう黄泉の国で戸喫(へぐい)をしてしまいました」

これが有名な「黄泉戸喫(よもつへぐい)」です。
ここからが今日の本題です。

「戸喫(へぐい)」というのは、
「戸」が「片開きの戸」の象形、
「喫」は「きざんで食べる」ことを意味する漢字です。
つまり、どこかの戸の内側で、調理した食品で食事のが「戸喫」です。

イザナミは、自分が黄泉の国で食事をしてしまったから、もう自分は黄泉の国の住民となってしまったと、ここで述べています。
実は、この背景になっている概念が、とても重要です。

人も動物も、身体は「食べたもの」で出来上がっています。
そして昔は、地元で採れた木の実や野菜、魚介類などを食べて人は暮らしていたわけです。
つまり、そこに住む人々の身体は、その土地で採れた食べ物で出来上がっていると考えられていたわけです。
これは、すこし考えれば、しごく当然のこととご理解いただけるものと思います。

この概念が前提としてあるから、黄泉の国で食事をしたら、
「もうその段階で黄泉の国の住人になってしまったのだ」という観念が生じます。
食べたもので人の身体は出来上がっているからです。
神様も同じです。
ですからイザナミは神様ですけれど、黄泉の国で食事をしてしまった以上、黄泉の国の人になってしまっているのです。

このことは、人であれ、神様であれ、その身体も御神体である魂も、それらは食べ物を得ている土地と一体のものであるということです。
だからこそ食を得るための土地や海や川を常に清浄に保たなければならない。
そうでなければ、肉体も精神も清浄に保つことができなくなると考えられていたのです。

まして空も海も山も川も生きとし生けるものも、すべては「隱身」、すなわちすべては神様の胎内にあるものです。
つまり私達の所有物などというものは、実はどこにもなくて、すべては神様から与えられた借り物であり、すべては神様のものであるのだから、常に清潔に美しく保たなければならないと考えてきたのが日本人だということです。

実際、明治の初めに日本にやってきた外国人は、日本の町や道路が、都市部でも田舎でも、ゴミひとつ落ちていないことに驚きの記録を遺しています。
そもそも私達が子供の頃、「公道脇の草取り」は学校で生徒たちが動員されて行われることがありましたが、「公道脇のゴミ拾い」という行事はありませんでした。

あたりまえのことです。
道路は田畑に隣接していました。
道路が汚れれば田畑が汚れます。
田畑が汚れれば、作物が汚れます。
その汚れた作物を食べるのは、私達自身です。

そういえば先日、昔、糞尿まみれだった某国のことを書
た記事に、「日本だって昔は畑に肥溜めがあり、その下肥を畑に撒いていたではないか。日本人こそ糞尿まみれだ」とコメントしてきた馬鹿者がありました。
あまりにもくだらない、言葉遣いもなってないコメントでしたので、あっさり削除させていただきましたが、我が国では畑に糞尿を撒いていたのではありません。
肥溜めで糞尿を発酵させて堆肥(たいひ)にし、その堆肥を畑に撒いて土と混ぜ、土そのものを栄養価の高い黒土に変えていたのです。
このことと、糞尿を堆肥にするという習慣も文化もなく、路上に糞尿を撒き散らすだけだった他所の国(おそらくそのコメントをしてきた人の出身の国)と同じにしてもらいたくない。

有機物は微生物の働きによって、良質な堆肥となります。
そして良質な堆肥は、土の中の微生物の働きによって、より良質な土をつくるのです。
そして良質な土でつくる作物は、農薬など用いなくても、虫も付かず、味も良くて形も良い良質な作物に育ちます。

ちなみに有機栽培などで、虫が付くような作物は良質だというのは、嘘です。
良質な土で育てられた作物には、虫は付かないのです。
土が病んでいるから、作物も病んだものとなり、病んだ作物だからろくでもない虫が付くのです。
これは経験豊富な有機栽培の農家から実際に教わった話です。

ちなみに「China産の作物が、不正な農薬まみれだから危険だ」という話をよく聴きます。
このことは是非、知っておいていただきたいのですが、その不正な農薬、つまり危険とされた農薬をChinaの農民に、安全だといつわって売っているのは日本人です。
というよりも、もっと厳密に言うならば、「日本人のような顔をしていて日本語を話し、日本からやってきた日本人を名乗る日本人でない人たち」です。

日本政府等が危険と判断して使用を差し止めた農薬は、国内の産廃業者に有償で引き取られていきます。
その産廃業者から、捨て値でその廃棄された農薬を仕入れた「日本人のような顔をしていて日本語を話し日本人を名乗る日本人でない人たち」が、これをChinaに持ち込んで、日本産の安全な農薬といつわって、高値でChinaで売り歩いたのです。

Chinaの農家ではこのことをよく知っていて、彼らは
「日本人は日本の農薬で作られた作物を危険な作物だという、まったくわけのわからない人々だ」といいます。
そして近年のChinaでは、習近平の食料政策によって、有機栽培によるオーガニックの農作物の生産が完全主流になってきているといいます。

ちなみにChinaで使われた危険な農薬は、日本産の農薬だけでなく、米国産や英国産など、世界の先進諸国からもたらされたものです。
けれどそのなかの、最も多くの農薬は、日本からChinaにもたらされたものとなっています。

このように「日本人のような顔をしていて日本語を話し日本人を名乗る日本人でない人たち」によって、日本人の評価が極端に落とされるという現象は、実はいまにはじまったことではありません。
このことは、戦前から、ずっと同じことが繰り返され続けていることです。

そしてこの人たちが、日本国内にあって、日本に最も望んでいることが、日本が西洋諸国のような経済大国になることです。

西洋の経済モデルというのは、人口の1%の人が新たに生産された付加価値(富)の五割を取るという仕組みで、これはギリシャの都市国家の時代から、現代の英米に至るまで、古来変わらぬ西洋経済モデルです。
日本はこれとまったく違って、1億総中流と呼ばれるような、格差の少ない社会が営まれてきたし、ですから社長の給料と新入社員の給料は、最大10倍までというのが、暗黙の社会慣習となっていました。
いまでも内閣総理大臣の給料は、年俸2500万円ほどですが、これはそういう日本古来のシステムによるものです。

日本の社会構造が西洋型の経済モデルになるとどういうことが起きるかというと、人口の1%、つまり120万人の人が、国の富の5割を手に入れることになります。
そしてそのうちの2割、つまり24万人が「日本人のような顔をしていて日本語を話し日本人を名乗る日本人でない人たち」になれば、日本を事実上乗っ取ることが可能になります。
現在は、まさに、ほぼこれができあがっている状況に至っているといわれています。
経済大国である日本を、少数民族が乗っ取れば、その民族の得る利益は計り知れないものとなるのです。
しかしそのことが、日本や世界にとって、良い影響をもたらすものとなるかは、甚だ疑問です。

ではどうすればよいかですが、私は日本および日本人が、
 経済重視
から、
 美意識重視
に変わっていくことが肝になるのではないかと思っています。
日本的な価値観である、誰もがよろこびあふれる楽しいクニとしての日本を取り戻していく。
そのことが、日本人に元から備わった美意識となっていくとき、日本は変わるし、世界もまた変わる。
そのように思うのです。

この「よろこびあふれる楽しい国」のことを、古い日本語で「豈国(あにくに)」といいます。
日本書紀に出てくる言葉です。
そして食に関しても、日本はもっと食料自給を高め、日本古来の伝統的農業の復活促進を、これは政策として行っていくべきであると思います。

日本文化の源流は、記紀にあります。
私達は、記紀の真の姿を呼び覚ますことにより、日本人としての本格的な覚醒を期しています。

お読みくださり有難うございます。

最後に、こちらを とお願い申し上げます。

おっと高値の悪口はそこまでだ



「金」や「ダイヤモンド」っすごく高値で取引されていますよね?      

これはなぜかというと、「希少価値」が高いからです。      

では、人の場合はどうでしょう。      

「希少価値の高い人」ってどんな人でしょうか。      

「美男・美女」や「天才」というのは生まれつきで決まりますから、誰にでもなれるものではありません。      

しかし、ひとりさんは「希少価値の高い人」には誰でもなれると言っています。      

それは「人をほめる人間」になることだそうです。      

そのことを、ひとりさんはこう、説明してくれました。      

「特に日本っていう国は、ほめる人間がすごく少ないんだよ。      

ほめられたくて努力をしている人間が山ほどいるのに、ほめる人間が少ない。      

ほめる人間がいちばん需要があって、ものすごく必要とされているのに、ほんとうに少ないんだよね。      

この世の中には需要と供給のバランスというのがあって、商品でも何でも、需要が多くて供給が少ないものは希少価値が高くて、よく売れるんだよ。      

だから、需要がいちばん高い『ほめる人間』になったほうがいいに決まってるの。      

そういう人間は、世の中で貴重だから、みんなから好かれて、出世もするし、会社もうまくいくし、とにかく何でもうまくいくものなんだよ」      

この話と関連して、ひとりさんから「人間はダイヤモンドと同じ」という話も聞きました。      

「ダイヤモンドって、誰が見ても輝いてるんだよ。      

でも、ダイヤモンドを見て『ほしい』と言う人もいれば、『いらない』って言う人もいるし、『値段が高い』って言う人もいるよな。      

人によってみんなそれぞれ言うことは違うんです。      

だけど、ダイヤモンドにとって、そんなことは関係ないの。      

誰が何と言おうが、何と思おうが、関係なしにキラキラ輝いているんだよ。      

人間もそれと同じ。      

まわりがどうこうに関係なく、自分がいつもニコニコ笑顔で、明るい言葉を話していれば、誰が見てもそういう人は輝いているように見えるんだよ」      


人によって態度を変えず、誰に対してもニコニコ笑顔で接して、明るい言葉をかけてくれる。      

こんな人はやっぱり、どこに行っても必要とされますし、まさに希少価値の高い人です。      

「笑顔」と「天国言葉」と「人をほめる」      

これを誰に対しても実践したとき、内側からも外側からも輝きだし、キラキラした人生が送れるのですね。      


尾形幸弘 著      
『斎藤一人の運を拓く教え』より      

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