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日立からボンソワ〜✨
突然ですが、この投稿を持ちまして、”パリ天使の詩”のブログを閉じる事になりました。
2011年1月より、書き綴って参りましたが、過去の投稿を読み、もう今の自分とは違うな・・と、違和感を感じるようになったから。
今後は、新ブログ、
(仮タイトル)
のフォローをお願い致しますね。
鏡のワークと出会い、自分を正面から見つめる事で、数え切れない多くの自己発見がありました。
そして、怒涛のような”思い込み”にまみれていた事に氣がつき、ようやく、
本来の自然のありのままの姿、つまり、”素”の自分
に出会えたのです。
藤平光一氏の確立した、氣圧法を学んだのが、約20年前。
氣の学びは、今でも、私のベースになっています。
でも、その後、何十、何百というメソッドを学んでも、拭いきれなかった自己否定感が、鏡に投影される自分の姿を見つめる事で、根こそぎなくなりました。
”こんな私を受け入れなくては!”
という氣持ちさえも、いつの間にか、消えていたのです。
これまで、手当て、精油のセッション、主催業、翻訳と、手がけて来たわけですが、それも、
そうしないと生き延びられない。
という思い込みがあったから。
でも、これからの余生は、鏡のワークを、より深め、一人でも多くの方にお伝えしていく事に専念していく覚悟を決めました。
これまで、”パリ天使の詩”を可愛がって下さって、本当に有難うございました。
心の底から、感謝の念が溢れてきます。
今後共、どうぞよろしくお願い致します。
パリオペラ座バレエ団ダンサー 藤井美帆さん
新ブログでは、鏡にまつわる質問コーナーを作りますが、第一回のゲストが美帆さんです
→ 都合でご紹介できなくなりました。
申し訳ありません。
今日も幸せ〜♪
いつもいつも有難うございます。
ビズ
85歳の母の骨董カフェ たて糸 et よこ糸 のブログ →
1977年の自己発見
引き続き、内観療法での抵抗の研究です。
内観療法には、まるで感謝を強要しているような誤解があるかもしれませんが、そのようなことはありません。
過去の記憶を想起するだけであり、その結果として感謝の念が湧いてくる場合もあるでしょうが、感謝が重要なわけではないのです。
重要なのは、あるがままの自分を見て、現実に即した自己像を確立することです。
多くの人は、現実から肥大した自己像を持っていたり、あるいは過剰に自分を小さく見ていたりするので、その歪みを修正するということです。
自分が自分であるという感覚を持つことができれば、人の意見やイメージに振り回されなくなると思います。
川原隆造の説
川原(1996;2002)は内観の治療抵抗と治療過程について次のように論じている。
a)治療抵抗について
川原は内観の治療抵抗を内観導入までの抵抗と内観に入った後の抵抗に分けて説明している。医療で内観療法を適応する場合、川原は、“すべての精神療法がそうであるように内観療法でも、治療者・患者間の信頼関係が、治療導入にあたって最も重要である。患者が現在の対人関係上の悩みや生育歴の中で親との関係について話題にしたとき、あるいは明らかに語られなくても以上の点を症状の背後に直感するとき”、内観への導入を試みるという。
①内観導入以前の抵抗
内観導入以前に見られる抵抗として、川原は次の四つを挙げ、その一つひとつに対処することが内観療法への動機づけにつながるとしている。
倫理的道徳(とくに恩思想)の押しつけ:倫理道徳は時代により、また民族により異なるものである。
それなのに、内観療法では倫理道徳を押しつけるのではないかと治療に抵抗を示す人がある。
内観三項目からそのような印象を受けるのであろうが、真の自己像の発見と対人関係の改善を目指すもので、倫理道徳を追求するものではない。
恩思想の欠点は、過去の恩に縛られ自己の発展が阻害されたり、反動的に反道徳的行為に走ることもある。
過剰な恩思想には問題があるが、母をはじめとする身近な人々や社会に対する恩恵を認識することは、人間存在の基本的なことである。
自分の真実をみつめることの抵抗:真実の自分から目をそらし、あるいは意識下に抑圧し表面的に精神の安定を保とうとする傾向がある。
真実を掘り起こすことに心の痛みを感ずるのは当然である。
そのため、他の心理療法と同様に、内観療法に対しても強い抑圧抵抗を示す場合がある。
しかし内観療法の場合は、その治療過程で起こる情動変化として、恩愛感と自責感を生じる。
自責感は恩愛感にほぐされ、内観者にそれほど痛みを加えることなく、自責的な過去の事実が掘り起こされる。
これは内観療法の治療構造に含まれた大きな特徴である。
内観には宗教色が強い:創始者吉本は、浄土真宗の僧籍を持つ宗教家で、面接時の挨拶に合掌していた。
そして、多くの内観研修所が宗教家により運営されていることから、内観療法は宗教色の印象が強い。
しかし、吉本は浄土真宗の一派で行われていた修養法「身調べ」を誰にでもできる簡便なものとし、さらに宗教色を排除し、まったく独創的な治療技法を編み出している。
「内観は宗教より出でて、宗教に非ず」と言われており、川原らの行っている内観療法にも、まったく宗教的色彩はない。
宗教家が運営している内観研修所でも、内観法に宗教色を出さぬよう配慮されている施設が多い。
内観は難行苦行である:たしかに、集中内観の2~3日間は楽しいものではない。
行動および対人接触の制限、日常性からの遮断などは自由を束縛するもので、快適なものではない。
しかし、内観者は真理を追究する尊い人物として丁重に扱われ、行き届いた待遇を受け激励されている。
父性的かつ母性的治療構造が内観者を支え、このような拘束に耐えることができる。
4日目以降は、治療環境にも慣れ、これまで決して意識にのぼることがなかった「母なるもの、父なるもの」に遭遇する。
己れの「愛された体験」と「自己中心的態度」の認識から恩愛感と自責感を生じ、自己探求の勇気を内観者に与え、大きな喜びと希望が湧いてくる。
②内観に入った後の抵抗
川原は、内観に入った後の治療抵抗を、次の三点に要約している。
内観場面に対する抵抗:内観者は誰でもまず、非日常的な場面に抵抗を感じる。
狭い空間で終日内観することは、とくに過去の事実を想起することが困難な内観3日間前後、決して楽なものではない。
個人差はあるものの、心理的には不安や孤独感や肉体的苦痛を伴う。
内観療法におけるこの種の抵抗は、集中内観の後半では次第に減弱していく。
面接者に対する抵抗:内観療法の場合、面接者は謙虚でていねいに内観者に対応する。
面接者は内観者の心情を汲み上げて対応するものの、自分で自分の内面をみつめることを厳しく要求する。
このような面接者の態度に反発を感じ、治療抵抗を示す人がいる。
しかし、治療構造のなかにある母性的な庇護的状況に、内観者は激励され、勇気を出して自己と対面することができる。
自己探求や自己の変革に対する抵抗:一般に、現実の自分に問題があることを意識していても、自己の変革を好まない人や変革に恐怖を感じる人がある。
内観療法では、自己の奥深い心の葛藤や、ふだん目を背けていた自己を掘り起こすことになるので、内観者は厳しい抵抗に打ち勝つ必要がある。
b)治療過程について
川原(2002)は内観の治療過程を認知の変化と情動・基点の変化の二つの側面から整理し、図4のようにまとめ、次のように説明している。
“治療過程の中での認知の変化については図4−Aに示す通りである。患者は意識から遠のいていた体験、あるいは幻想的に修飾されていた記憶から事実の部分を明瞭に想起することから始まる。
つまり、内観は「事実の再認識」から始まり、その結果、「認知の修正」が行われ、「客観的現実的認知」を修得し「自己発見」に至る”
“治療過程の中で起こるもう一つの変化は情動と基点の変化である(図4-B)。
内観者は「お世話になったこと、お返ししたこと」を内観して、近親者を他者として一個の人格を持った個人として、自己との関係性をみることになる。
そして内観者は、母およびその他の近親
から受けた愛情の数々に思いをはせることになる。これが「愛された体験」の想起である。
これまでいかに支えられ愛されて生きてきたかを想起することにより、情動体験の一つ「恩愛感」を近親者に感ずる。
そして内観者は、近親者をはじめ他者の存在を認め、他者に畏敬の目を向けること、つまり「他者の認識」が可能になる。
この「他者の認識」が内観者に「他者視点」の足場を与え、「自己発見」への道を開くことになる。
次に、内観者は「ご迷惑をかけたこと」を内観することにより、近親者ならびに周囲の人たちに、多くの迷惑をかけた具体的な事実を回想する。
これが「自己中心的態度」の想起である。
内観者が自己中心性に気づいたとき「自責感」を抱くが、そのような自分を見捨てずに愛情を注いできた近親者の行為に感動し、我執に満ちた自己を認識することになる。
この「我執の認識」が我執からの解放(「脱我」)を促し、「自己発見」への道を開く”。
また、川原(1996)は上記の認知の変化と情動・基点の変化の関係について次のようにも語っている。
“内観者は、恩愛感と自責感を車の両輪のごとく、互いに他を駆動し自己認識を変革して、「他者基点」の視点を獲得し、我執からの離脱(「脱我」)を成し遂げて、客観的視点と現実認識(「自己発見」)を得ることになる。内観療法で起こる二つの情動は、心の展開を起こすに極めて重要な駆動力として働く。
従来の自己認識を変革し新しい自己発見に至る過程において、二つの情動は触媒的作用を示すもので、認知の修正が治癒機転として重要な働きをしているように思われる。
内観中に高ぶった二つの情動は、時間とともにその興奮性を失っていくので、内観療法を感謝の療法、あるいは自責的思考を促す療法と捉えることには慎重を要する”。
前回書いたように、認知的な変容が生じて、他者から見た自分が見えるようになります。
そのような自己認知は、ほとんどの人が持ったことがないため、新たに気づくことがたくさんあります。
人間関係の苦しみというのは、現実からズレた自己像を持っていることが原因である場合が多いです。
それは私たちが、自分に都合の良い過去だけを覚えていて、都合の悪い過去を忘れてしまうからです。
自分の人生の中で、自分がどのようなことをしてきたのかを如実に知ることによって、現実に即した自己像を形成することができます。
それは、事実に近い自己像ですから、その自己像を守るために心理的な防衛をする必要がなくなるため、精神的に解放されたような意識状態になります。
私たちは、自分自身であればいいのだと思います。
自分自身であるためには、自分がどのような人間であるかをきちんと見る必要があるのです。
(出典:「内観法 実践の仕組みと理論」長山恵一・清水康弘著 日本評論社)
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