神秘体験力を鍛える
源くの一です♡
ご来訪くださり、ありがとうございます。
はじめての方、何かのご縁ですね。
みなもとパワースポットへようこそ。
さて、こちらのページは初めてお読みする方のために要約すると、この記事はくの一のソウルメイトでもあり、人生のメンター(指南者)でもある『真朱』からツインソウルについて気づきを得た回想録を書いてます。
本日のテーマも引き続き〖 ツインソウルに出逢った真朱から教わったディープな気づき*其の二十二*実生活に活かす神秘体験〗
〖 ソウルメイトがツインソウルと出逢ったあと、くの一に影響があったこと〗
ここに来て下さるみなさんのインスピレーションの閃きのヒントになれたならと祈念しつつ書き下ろしました。
それでは『ついんそうるるいとも 』の続きをお読みください。
ソウルメイト真朱がツインソウルに出逢った知らせを聞いたことで、自分のチャネリングやリーディングの能力が高まりリアルな体験をしたその夜、高熱が上がりました。
霊的な成長をするとき起こるサイン。
臨死体験がその頃には三度あったから、高熱くらいは対処できる。
病気に行っても、どうせ原因不明だろう。
かつて、何回かあった霊障とか、エネルギー当たりの高熱。
でも、覚醒体験の強烈なのは初めてだ。
私は、死ぬの?
そんなの、嫌だ…。
霊感を使う仕事とは明らかに違うエネルギーの流れの中。
頭はハッキリしてるのに、身体がついていかない。
熱を計ると40度近く上がってる。
そこまで熱が上がると、普段閉じている第3の目が空気中にあるエネルギーの層を勝手に追跡する。
アセンションエネルギーの渦に飲み込まれる。
これをコントロールするためには
グラウンディングしなければならない。
ジッとしていないきゃいけないのにソワソワ。
体調とソワソワが落ち着くためにはどうしたら良いのか・・・。
とにかく幼い子供たちに心配かけたくないので、早く治さないきゃ…そう思うと力が湧く。
でも、冷蔵庫は空っぽだ。
何か食べたら治るかも・・・。
何かを食べたい。
ふらふらになりながら、歩いて二分のところにあるスーパーで檸檬と蜜柑と柿とマヌカハニーと梅干しと杏仁豆腐を買いに行きました。
ほんわかした、スーパーのBGMで高熱は下がらないけど浮遊感がさらに収まってきました。
口当たりのいいものは食べられそうなので自分に大丈夫だと言い聞かせて、仕事を体調復帰するまでと受けていたクライアントをキャンセルして休むことにしました。
檸檬水を作り、柿をむいて食べて、蜜柑も食べて、マヌカハニーを舐めなたりしながら・・・
「 これだけ食べられたら、大丈夫やねん。 」
胸に手を当てて、大丈夫とアファメーション
ハイヤーセルフ、守護霊の賢者たすけて!
ぐるぐるアメジストとエメラルドとサファイアのマーブルのエネルギーを裸眼でも眩しく
その迫り来るビジョンは初めてみるので恐くなってきました。
不意に、
〖 大丈夫だから、呼吸を深めて
横になりなさい。 〗
と、声だけ聞こえます。
「 来てくれたんですね!ありがとうございます…。ツインソウルあえるんだから治りますよね? 」
光が瞬くサファイアの光
〖 もうすぐじゃ、もうすぐじゃから…。〗
すぅーっと、守護霊の声は消えていきました。
少し落ち着いて、手を洗いに洗面所に行ったら、リンリンリンリンと庭から音が聞こえてきました。
縁側から窓を開けて外をみると満天の星空。
空を横切る光。
あっ、また流れ星。
睡蓮鉢を覗くと頭巾を被った魔女、微笑み返す劔の魔導師。
瞑想で見た前世。
私にもツインソウル逢えるんだろけど・・・何時なんだろう。
なんだか、自分の観た前世の記憶に疑心暗鬼になっていたのです。
すると、リリン。
今度はリアルなメール音。
メールを開くと
【 昼話した事なんだけど、思い切ってツインソウルの彼にメールしたよ。
ありえない程、体感が官能的で何だか想像を絶する凄まじさがある。こんなこと初めてなんだ。
彼に逢った事ないのにメールを数通やり取りになったんだけど逢いたくて仕方ない。
逢ったらどうなるのか分からない。
彼は独身だから自由なんだよね。真朱より】
〜つづく〜
今日は、日記をもとに書き下ろしました。
ツインソウル、ツインフレーム、ツインレイ、全てのスピリチュアルに関心のある全ての方、内容から必要なガイダンスを受け取ってくださいね。
72秒ほど深呼吸して2~3分瞼を閉じて心を静め、このページから受け取れるメッセージを、あなた自身へのインスピレーションを受け取ってみましょう。
世界が純粋に大いなる源に繋がる祈りと光を送ります。
そして、良き毎瞬となりますことを。合掌
みなさん、ごきげんよう。
みなもとメッセンジャーくの一でした。
また、あい(愛)ましょう(。・ω・。)ノ♥️∞♥️
神秘体験 マチ、ウツッテル?
もうすごい昔のように感じられるのですが、今の仕事を始める前にインドに行ったことがあって、そこで多分人生ではじめて「瞑想」というのをやりました。
もちろん、瞑想の正しいやり方なんて知らないし、他の人がやっているのを見よう見まねで、ただ目をつぶって、はじめは寝ないように、そして呼吸だけに意識を集中してやりました。
多分、日本から遠く離れたインドという土地に行って、そして、そこまで多くの旅行日程が詰められていない中で「なんか、瞑想みたいなことをするしかない」という環境が良かったのだと思っていて、それから今に至るまでちょくちょく瞑想をします。
僕は自分でこういうことをやっておいてなんですが、個人的にはスピリチュアルからは半分は距離を取ることをモットーとしています。
瞑想をしたりすると、「なんかこれ、宇宙と一体化してなくね?」って体験は多分多く起こります。僕も起こります。でも、なんかそういう神秘体験を偶然した後は、大根の皮をちゃんとむくことに意識を集中するとか、そうやって「生活に帰る」って大事にしています。
なんかこう、仕事帰りにスナック行って(行ったことないけど)、「しーさんすごいね」って褒められて、ちゃんと玄関のドアを開けて「あんた!なんで洗濯物畳んでなかったの?これで何回目!?晩飯抜き!」っていう、娑婆に帰るバランスを大切にしたいのです。わかりにくくてごめんなさい。
生活があって、ミスやヘマがあって、他人から怒られて、問題に対しては現実的な処方をしなければいけなくて、恥もかいて、反省もして、冷蔵庫に閉まってあった野菜をすっかり忘れて腐らせてしまったり、そうした基盤とか、人間的な「しょーもなさ」を大事にしたいのです。
その上で、インドに行った時に「なぜ瞑想をするのか。古代人は瞑想をなぜ必要としたのか」って自分なりに考えていました。考える時間はすごくあって。
僕なりの回答は、古代人が瞑想を必要としたのは、シンプルに「生き残る力を増すため」じゃないかって思いました。
どうしてかと言うと、これは現代人にも通じるのですが、人間って、あらゆる人間関係、時間、そして1時間前の自分のミスやヘマと常に“関係”して、“繋がって”生きています。
「あー、またやっちゃった」
って誰にでもそれは起こってしまって、それが起きた後ってけっこう凹む。そして、凹んでばかりもいられなくて、次にやらなければいけないことも時間と共にやってきてしまう。
そういう時、僕は「娑婆(しゃば)から一時身を離す」という言い方をしているのですが、呼吸を整える。一瞬でも呼吸の数に集中して「あー、やっちゃった」とか「〇〇時にこれをやらなきゃ」という、娑婆に関係していることから自分の身を離す。
そうやって一瞬でも身を離したら、ちょっと冷静になれる。「ま、やっちゃったもんはしょうがない」って。また本来持っている自分の力を出していくしかない。試していくしかない。時々背伸びもして、萎縮もして、発揮していくだけ。そうやって身を整える。そしてまた怖気づく。
パフォーマンスや気持ちが乱れたまま「どどどど、どうしよう」とか「あー、もう〇にたい」とか、そういう気持ちが必要以上に、そして過剰に長引くことは、今の自分の正しい状況把握や立て直し能力を阻害する。その時に不都合の連鎖が起きたら、自分の生命力は弱まっていく。
そういうことを、今まで人間の遺伝子を運んできてくれた昔の人は知っているんじゃないか。今の時代は今の時代の危機ってあるけど、昔の時代に生まれたら、畑を耕していたら隣国の変な人達が攻めてくるとか、収穫物をイナゴが襲うとか、そういう「一瞬先が闇」という危機を乗り越えてきたって、人類は相当すごいと勝手に思っています。その先輩の遺伝子が運ばれているわけだから、危機を乗り越えていく厚かましさって、我々にもあると勝手に思っています。
そういうことを考えるために、やっぱりたまに今でも外の風にあたって、公園のベンチに座ったりします。喫茶店に行ったり、図書館に行ったり、ラーメン屋で黙々とラーメンを食べたりします。
神秘体験だとか騒いでるのは一部のブロガーだけ
/ / /
● 昨日はコタツで、お鍋でした.。
こんにちは。細田あかりです。昨日はコタツで、お鍋でした.。
私は特に、食事はとらなくても、お腹が減らないのですが、やはり美味しいものは楽しみたいと思うのです。
特にコタツでお鍋は鉄板ですよね。
ところで、仙女入門の特典についてですが、結構すごいものになってます。
その中で特化しているのが、あなたの持ち物を使って、パワーアイテムを作らせていただくってものです。
さて、ここで質問です。
パワーストーンなどのマジックアイテムが、なぜ力を持っているか知ってますか?
、、、
、、、
、、、
まぁ、考えたこともない方が普通じゃないかなとは思います。
パワーストーンや、不思議な力を持っている石や、「謂くあり」の古い品物、等などは、力のある土地柄に長いことあったため、その気を受けて、力を持って行った物です。
これが、聖遺物、などの物になりますと、その宗教の教祖が、すごい気の力を持っていたために、その気を受けて奇跡(奇跡って言葉はキリスト教用語です)の力を持つようになりました。
キリスト教の聖水や香油、等などは、教会の神父と言われる人たちが「聖別」という儀式を行います
それによって、この世にありながらもその本体は、私たちが暮らしている現世より、少し上の聖なる世界に近い所にある、と言う物に変えるわけですね。
そうすることによって、神への供物ともできる。
まさに「聖別」なわけです。
まぁ、そんなわけで「聖別」みたいなものは例外的なものですが、そう言うもの以外のものは、殆どが地の気を受けたり、自然の気である、木・火・土・金・水の気を受けて力を持ちます。
と言っても、そのものが持つ、気の「容量」、つまり「キャパシティ」を超えて、内部に気を蓄える事は出来ませんので、自ずと限界はあります。
しかし、たまに、自らの気を安定させようと、外部の気で補充する物もあります。もちろん、闇雲に気を取られた人は衰弱し、弱り、最悪なことに、お墓の中に入ることもあります。
つまり「人に害をなす異物」になっていくのですね。
あなたも歴史を調べれば、思い当たるものはたくさん出てくると思います。
さて、先ほど聖遺物のお話をしましたが、同じような成り立ちのものに、これも例外範疇なのですが、「生成(クラフト)された魔術道具または呪いの道具」があります。
これは、西洋物が、やたらと多いのですが、西洋の古い魔術は、主に自分の力で術をなすものではありません。
どちらかといえば、大乗仏教と仕組みは同じです。ただし、こちらはかなり暗黒面に即しています。
どう言うことかと言いますと、大乗仏教は自分を含めた人間の力は弱小だから、より高位の存在である、釈迦の顕現に引き上げてもらい、極楽の、、、と言う教えです。
(あくまで、読者の方がわかりやすい様に書いてます。実際のシステムはかなり複雑で深淵です)
これの悪用版みたいな話で、古い西洋の魔術や呪術、または奇跡と呼ぶ力は、黒魔術系でしたら、
悪魔と呼ばれる、非常に密度の高い、意識を維持している邪気、からエネルギーを引き出して、、、
奇跡なら、イエスと言う、高位の存在の 、、、
と、どちらも人智の及ばない、高位の存在が必須です。
ですから、西洋の魔術師が使う、呪術用具、魔術用具、などの「クラフト」された物の力の源も、遠く線で繋がっている、その高位の存在にあるわけです。
と、ここまで、の長いお話を、出来るだけできるだけ、わかりやすくしてお話ししました。これ以上分かりやすくすると、私が誤解しているとか、乏しているとか言われかねません。
なので、このぐらいの噛み砕きようでご勘弁ください。
さて、このように、それぞれの強力に不思議な力を持ったアイテムは、「そのようになった」だけで、元々は単なる普通の物質でした。
それは、なんの力も持たない、普通の普通の平凡な物質です。
・聖水は聖別されるまで、ただの水です。
・お札は呪の回路が埋め込まれるまでは、ただの紙と墨です。
・ホープダイヤも、色のおかしなただのダイヤでした。
・祝福の石も、元はただのそこらへんに転がっている石です。
まぁ、すべてのものが、ただの物質だったのです。
特別に神が遣わしたアイテムがあると思いましたか?そう聞かされた物を信じているのなら、それは詐欺に騙されているのです。
(または、それを教えたのは、その原理を知らない未熟な方なのかも?)
神が作ったアイテムはなく、神(と人が読んでいる高位の、意思を持った密度の高い気のかたまり)の気の影響を宿させた、普通の物質が「変化した物」があるだけなのですね。
もう一度言いますね。
すべての不思議や奇跡や高銀を呼ぶ物は、元々は、ただの普通の物質です。
つまり、あなたの物も、これらの奇跡のもののように力を持つ事はできるのです。
「仙女入門」の特典で、私が作り出そうとしているのも、そのような品です。
あなたの、何気ないアイテムに、あなたが望む未来を、自動的に叶えるような気として埋め込み、あなただけのアイテムにする、それが、この特典の正体です。
その埋め込んだ気は、自動的にあなたの望む未来を、叶えるように仕組みづくりされてますので、持っているだけで効果を発揮します。
その願いは、金銭でも、恋愛でも、家族の幸せでも、なんでも構いません。
新大阪駅の気功教室!不思議な力を身につけ願望実現を叶える気功講座
・電話
内気功によるレッスンは、恋愛、金運、生活の悩み、受験祈願、昇進祈願、人生改善、神秘体験、除霊、人間関係、に効果的です。また、各精神的な落ち込み、精神疾患、更年期障害、月経前症候群(PMS)、体力不足にお悩みの方々に特に効果的といわれています。
気功教室には、新大阪・東淀川・西中島・三国・西三国・豊中・十三・上新庄からもお越しいただけます。
やさしくつぐ手に心もゆれる。それでも神秘体験は揺らさないで。おいしさが逃げる。ビンが割れることもある。
もうすごい昔のように感じられるのですが、今の仕事を始める前にインドに行ったことがあって、そこで多分人生ではじめて「瞑想」というのをやりました。
もちろん、瞑想の正しいやり方なんて知らないし、他の人がやっているのを見よう見まねで、ただ目をつぶって、はじめは寝ないように、そして呼吸だけに意識を集中してやりました。
多分、日本から遠く離れたインドという土地に行って、そして、そこまで多くの旅行日程が詰められていない中で「なんか、瞑想みたいなことをするしかない」という環境が良かったのだと思っていて、それから今に至るまでちょくちょく瞑想をします。
僕は自分でこういうことをやっておいてなんですが、個人的にはスピリチュアルからは半分は距離を取ることをモットーとしています。
瞑想をしたりすると、「なんかこれ、宇宙と一体化してなくね?」って体験は多分多く起こります。僕も起こります。でも、なんかそういう神秘体験を偶然した後は、大根の皮をちゃんとむくことに意識を集中するとか、そうやって「生活に帰る」って大事にしています。
なんかこう、仕事帰りにスナック行って(行ったことないけど)、「しーさんすごいね」って褒められて、ちゃんと玄関のドアを開けて「あんた!なんで洗濯物畳んでなかったの?これで何回目!?晩飯抜き!」っていう、娑婆に帰るバランスを大切にしたいのです。わかりにくくてごめんなさい。
生活があって、ミスやヘマがあって、他人から怒られて、問題に対しては現実的な処方をしなければいけなくて、恥もかいて、反省もして、冷蔵庫に閉まってあった野菜をすっかり忘れて腐らせてしまったり、そうした基盤とか、人間的な「しょーもなさ」を大事にしたいのです。
その上で、インドに行った時に「なぜ瞑想をするのか。古代人は瞑想をなぜ必要としたのか」って自分なりに考えていました。考える時間はすごくあって。
僕なりの回答は、古代人が瞑想を必要としたのは、シンプルに「生き残る力を増すため」じゃないかって思いました。
どうしてかと言うと、これは現代人にも通じるのですが、人間って、あらゆる人間関係、時間、そして1時間前の自分のミスやヘマと常に“関係”して、“繋がって”生きています。
「あー、またやっちゃった」
って誰にでもそれは起こってしまって、それが起きた後ってけっこう凹む。そして、凹んでばかりもいられなくて、次にやらなければいけないことも時間と共にやってきてしまう。
そういう時、僕は「娑婆(しゃば)から一時身を離す」という言い方をしているのですが、呼吸を整える。一瞬でも呼吸の数に集中して「あー、やっちゃった」とか「〇〇時にこれをやらなきゃ」という、娑婆に関係していることから自分の身を離す。
そうやって一瞬でも身を離したら、ちょっと冷静になれる。「ま、やっちゃったもんはしょうがない」って。また本来持っている自分の力を出していくしかない。試していくしかない。時々背伸びもして、萎縮もして、発揮していくだけ。そうやって身を整える。そしてまた怖気づく。
パフォーマンスや気持ちが乱れたまま「どどどど、どうしよう」とか「あー、もう〇にたい」とか、そういう気持ちが必要以上に、そして過剰に長引くことは、今の自分の正しい状況把握や立て直し能力を阻害する。その時に不都合の連鎖が起きたら、自分の生命力は弱まっていく。
そういうことを、今まで人間の遺伝子を運んできてくれた昔の人は知っているんじゃないか。今の時代は今の時代の危機ってあるけど、昔の時代に生まれたら、畑を耕していたら隣国の変な人達が攻めてくるとか、収穫物をイナゴが襲うとか、そういう「一瞬先が闇」という危機を乗り越えてきたって、人類は相当すごいと勝手に思っています。その先輩の遺伝子が運ばれているわけだから、危機を乗り越えていく厚かましさって、我々にもあると勝手に思っています。
そういうことを考えるために、やっぱりたまに今でも外の風にあたって、公園のベンチに座ったりします。喫茶店に行ったり、図書館に行ったり、ラーメン屋で黙々とラーメンを食べたりします。
神秘体験をメイン商品として品揃えしております、センスが光る!こだわりの逸品をお得に♪
もうすごい昔のように感じられるのですが、今の仕事を始める前にインドに行ったことがあって、そこで多分人生ではじめて「瞑想」というのをやりました。
もちろん、瞑想の正しいやり方なんて知らないし、他の人がやっているのを見よう見まねで、ただ目をつぶって、はじめは寝ないように、そして呼吸だけに意識を集中してやりました。
多分、日本から遠く離れたインドという土地に行って、そして、そこまで多くの旅行日程が詰められていない中で「なんか、瞑想みたいなことをするしかない」という環境が良かったのだと思っていて、それから今に至るまでちょくちょく瞑想をします。
僕は自分でこういうことをやっておいてなんですが、個人的にはスピリチュアルからは半分は距離を取ることをモットーとしています。
瞑想をしたりすると、「なんかこれ、宇宙と一体化してなくね?」って体験は多分多く起こります。僕も起こります。でも、なんかそういう神秘体験を偶然した後は、大根の皮をちゃんとむくことに意識を集中するとか、そうやって「生活に帰る」って大事にしています。
なんかこう、仕事帰りにスナック行って(行ったことないけど)、「しーさんすごいね」って褒められて、ちゃんと玄関のドアを開けて「あんた!なんで洗濯物畳んでなかったの?これで何回目!?晩飯抜き!」っていう、娑婆に帰るバランスを大切にしたいのです。わかりにくくてごめんなさい。
生活があって、ミスやヘマがあって、他人から怒られて、問題に対しては現実的な処方をしなければいけなくて、恥もかいて、反省もして、冷蔵庫に閉まってあった野菜をすっかり忘れて腐らせてしまったり、そうした基盤とか、人間的な「しょーもなさ」を大事にしたいのです。
その上で、インドに行った時に「なぜ瞑想をするのか。古代人は瞑想をなぜ必要としたのか」って自分なりに考えていました。考える時間はすごくあって。
僕なりの回答は、古代人が瞑想を必要としたのは、シンプルに「生き残る力を増すため」じゃないかって思いました。
どうしてかと言うと、これは現代人にも通じるのですが、人間って、あらゆる人間関係、時間、そして1時間前の自分のミスやヘマと常に“関係”して、“繋がって”生きています。
「あー、またやっちゃった」
って誰にでもそれは起こってしまって、それが起きた後ってけっこう凹む。そして、凹んでばかりもいられなくて、次にやらなければいけないことも時間と共にやってきてしまう。
そういう時、僕は「娑婆(しゃば)から一時身を離す」という言い方をしているのですが、呼吸を整える。一瞬でも呼吸の数に集中して「あー、やっちゃった」とか「〇〇時にこれをやらなきゃ」という、娑婆に関係していることから自分の身を離す。
そうやって一瞬でも身を離したら、ちょっと冷静になれる。「ま、やっちゃったもんはしょうがない」って。また本来持っている自分の力を出していくしかない。試していくしかない。時々背伸びもして、萎縮もして、発揮していくだけ。そうやって身を整える。そしてまた怖気づく。
パフォーマンスや気持ちが乱れたまま「どどどど、どうしよう」とか「あー、もう〇にたい」とか、そういう気持ちが必要以上に、そして過剰に長引くことは、今の自分の正しい状況把握や立て直し能力を阻害する。その時に不都合の連鎖が起きたら、自分の生命力は弱まっていく。
そういうことを、今まで人間の遺伝子を運んできてくれた昔の人は知っているんじゃないか。今の時代は今の時代の危機ってあるけど、昔の時代に生まれたら、畑を耕していたら隣国の変な人達が攻めてくるとか、収穫物をイナゴが襲うとか、そういう「一瞬先が闇」という危機を乗り越えてきたって、人類は相当すごいと勝手に思っています。その先輩の遺伝子が運ばれているわけだから、危機を乗り越えていく厚かましさって、我々にもあると勝手に思っています。
そういうことを考えるために、やっぱりたまに今でも外の風にあたって、公園のベンチに座ったりします。喫茶店に行ったり、図書館に行ったり、ラーメン屋で黙々とラーメンを食べたりします。
神秘体験 関連ツイート
海外の出版社の方も含め、善意あるアドバイスが頂ければ幸いです。尚、DMは日本語で…。…
海外の出版社の方も含め、善意あるアドバイスが頂ければ幸いです。尚、DMは日本語で…。…