至高体験 花は人を磨きます。

至高体験 花は人を磨きます。

至高体験をマスターしたい人が読むべきエントリー50選

こんにちは。


ブログを読んで頂きありがとうございます。


このブログは自分が辿っている非二元のストーリーや心理学を使って理解する自分個人の内側の感覚などをつらつらと綴っているブログです。



非二元と心理学 …、近いような遠いような、不思議な関係です。



私は心理やセラピーを学んできたのですが、3~4年前に「非二元」や「目覚め」さ「悟り」と言うものに興味を持ち出し、その領域を理解したくて学びが始まりました。


それはなぜかと言うと、心理学で幾つかのセラピーを通して自分を見ていたけれど傷はいつまでも癒えず、過去の体験や自分が握りしめている傷や両親との関係を何度ワークをしても終わらなく、セラピー自体に限界があるように感じたからです。



その後、宗教や思想的な本も読みましたが、答えは見つからず、人間のドラマを超えたところに癒しがあるのではないか。と思えたのです。


それは魂の癒しではなく、「魂」と言う、その個別なものも超えたところに真理があり、心理学や宗教を超えた癒しがあると感じていたところに、非二元の話を知ったのです。



非二元や悟りの事を語っている人は多く、みなさんがご存知の方々がいらっしゃいます。


どの方も至高体験をして、そこから世界観が変わり多くのことに気づき語ってくれています。もしかしたら、悟りや非二元の理解は至高体験をしないと分からないのかも知れません。


私としても出来る事なら体験してみたいと言う興味はあります。(笑)



でも、もしかしたら「非二元のストーリー」や「悟り」や「目覚め」と言うものは至高体験をしていない人でも理解出来るのかも知れません。

(理解するものではないんですけど、感覚が掴むような感じ? 言葉では上手く説明が出来ないので  理解  としておきますね。)



誰でも気付ける領域なんだろうなぁと思い、至高体験もない私が心理学や宗教を超えた、そして個を超えた世界を覗き見ようとしている感じがしています。


このブログは、そんな凡人な私の気づきの体験を綴っているようなものになっています。



私は普通の会社員で企業で働き、週末はセラピストの活動や学びを行い、そしてそれらの実生活を非二元の視点を学びながら生きていく。

それが、実生活を送っている個人を癒す作業をしているように思います。



なんとなく、ふと 今日は自分の在り方を書きたくなりました。


また、ぼちぼちと凡人が辿っている 〈非二元の理解への道〉を綴っていきます。


多分、気付きは蛇行しながら深まったり腑に落ちたりしていくのでしょうね。

そんな私の独り言綴り、これからもよろしくお願いします。




至高体験の黒歴史について紹介しておく

魔とは「間」のこと。

魔が差したという言葉を、犯罪行為を行った人から聞くけれど、

そこには魔が入り込める余地のある「間」があるということ。

自分がまともで、

常識がある人間で、

ぜったいに間違うことはないと思っていても。

そこにほんのすこしの「間」があるなら、

いつでもそこに魔があるのだと思っていた方がいい。

禅などでは、参禅中に至高体験が訪れたり、圧倒的な視覚的イメ-ジがやってきたとすると、

それは「魔境である」といい、師にぶんなぐられる。

これはなぜなのか?

至高体験そのものが魔なのではなく、

至高体験をしているその人のなかに「間」があるなら、

その体験を本質的な成長へと活かすことができなくなり、

至高体験によって抑圧された自己愛や傲慢さがあふれだすこととなるために、

それを「魔境」と呼ぶのだ。

究極のところ誰でも至高体験は可能だ。

人里離れた寺へ行き、一か月ほど決められたプログラムをこなせば、ほぼ誰でも「覚醒した」と思えるような至高体験を得ることはできる。

しかし本人のなかに「間」があるなら、それは定着しない。

定着しないどころか、自己愛や傲慢さに囚われ、その後の人生のプロセスのなかで、致命的な欠損をもたらす場合もありうる(もちろんすべてがそうだとはいわないけれど)。

さて。

この「間」とはなんだろう?

たぶん一番わかりやすくいうなら

「ズレ」

のことだ。

言っていることとやっていることが違うとわかっていながらも

ひっこめることが出来ずにいるときにやってくるズレ。

誰かをとても愛し、欲したとき。

ようやくその人と結ばれたとき。

どこかでふっと感じるズレ。

求めているものが現実になったときに

どこかでふっと冷めてしまう温度のズレ。

夫婦関係のなかでのほんのわずかなズレ。

この「ズレ」があるとき、そこに「間」があり、「魔」が入ってくる。

最初はとても小さなズレ・間の感覚。

やがてそれがだんだん大きくなってきて、

決定的になってきたときに、

そこに魔を基にした「善悪」が展開される。

最初はちいさな溝だったはずの人間関係のズレが

巨大な谷底ほどの間に広がっていく。

そしてそこに大きな「魔」が入る。

一度、魔に取りつかれてしまうと

本人のなかでの「善」が「悪(他者へ支配)」となっていることに気が付かなくなり、

破滅的な場所まで突き進むことになる。

大きなところでは戦争もまったく同じこと。

最初は小さなズレ・間だったものがやがて国家的な巨大な谷間にまでひろがってしまう。

そして強力な「魔」にとらわれ、お互いの正義の元に、支配がはじまる。

小さなところでは仕事選びなど。

最初はこれくらいのズレは我慢できると思っていたものがだんだん広がり、自分のやりたいことと求められていることが大きく隔たる間にまでひろがり、そこに「魔」が入る。魔は言う。止まることは死ぬことと同じだと。

そして魔はその人をむしばみ、うつや自殺へまで追い込んでしまう。

仏教やエソテリシズムの教えでは

もし人が全的な成長を遂げていくなら、

「間」に関する自己認識を前提にすることが大きなポイントであると説く。

現実的なズレを修整することが重要なのではなく、

ズレを認識し、いまズレている、ここに間があるのだと、初動のときに気が付くこと。

初動でズレに気が付いていれば、それは「魔」をはらうこことと同じだ。

しかし「甘い誘惑」にとらわれたとき。

抑圧された自己愛や傲慢さが

その「ズレ」を「なかったこと」にしてしまう。

本当はだれでも初動で気が付いてるはずなのに。

そして小さなズレから、大きな間が生まれ、そこに「魔」が巣くうのだ。

魔とは外にある力ではない。

あなたのなかにあるズレ・間がやがて大きくなったときに、そこに魔が生まれる。

初動でズレ・間に気づくこと。

これが「魔」をはらう秘訣。

追。

私もたくさんのズレから、たくさんの「間」をもってきました。

そしてたくさんの「魔」にとらわれ、落ちてきました。

けれどいまわかるのは、すべて自分のなかの「間」をごまかすことから生まれた事象であり、自分自身の内面の現れそのものだということ。

初動で魔をはらうこと。

古来から仏教でいわれるこのことの大切さは、もちろんずっと前から頭では理解できていたのですが、ようやく本当に理解ができるものとなりました。

けれど人間はどこまでも間違うもの。

究極のところ、ズレはだれにでもあるし、間がないひとなどいない。

つまり魔を持たない人もいない。

けれどそのまま落ちていくのか、それとも自分自身のちいさなズレに気が付き、本当に自分がやりたかったことは何なのかをもう一度見直すことが出来るのが、人間です。

間は、魔がはいるものでもあり、いつでも自分で自分を変えることが出来るという大切な「間」でもあるのです。

人間という言葉に「間」が入っているのは、何にでもなりうる間という「可能性の矢」をすべての人が持っているということでもあるのでしょう。

4月1日撮影。息子と父。

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至高体験愛好家倶楽部通信♪

幸せの真理に辿り着きはじめた、覚醒者のたむです。

覚醒したので毎日が喜楽で超幸せです。

とても満たされて充実した毎日です。

このブログの趣旨ですが、『幸せに生きる』ということをテーマにしています。

幸せに生きる為に様々な経験をして『幸せに生きることの本質に覚醒した』たむの智慧を紹介しています。

たむの智慧は、『ライフ&ソウルヒーリング』という形で、方法論を確立しています。

実体験に基づいているので効果的・現実的です。

前回のブログは人生に答えはないでした。

人生の質を良くするためのHOW TO本はいっぱいありますが、それは人生を良くするための方法論であり答えではありません。

人は今世で予定してきた課題があります。

ですから、持って生まれて来たものが違います。

その為、幸せの形は人それぞれ、型にはまった答えなんてありません。

ちなみに、持って生まれて来たものを宿命と言います。

ただ、全人類に共通している宿命があります。

それは、脳内物質による心身の反応が変わるというものです。

そして、それが人生の応え(こたえ)になることも全人類共通の宿命となります。

この応えというのは、自分の体験に対する心身の反応という意味になります。

つまり、体験に対する心身の反応の積み重ねが、自分の人生に対する自分で出した応えということになります。

人の為に何かをするのも、自分への応えを得る為です。

自分の為に何かするのも、自分への応えを得る為です。

何もしない選択も、自分への応えを得る為です。

応えとは反応のことです。

反応とは脳が出す脳内物質(脳内麻薬)のことです。

人は脳内物質(脳内麻薬)という応え(ご褒美)の為に生きているのです。

そして、脳内物質の中でも幸福感を得られるものをたくさん必要としています。

この幸福系脳内物質の量と質がある状態に達した時、至高・至福体験をすることがあります。

心は澄み切ったような状態になり、即ち悟りを開いたかのような状態になる場合もあります。

このような状態になった時、潜在能力が解放されることがあり、神秘体験をする場合もあります。

いずれも人生を一変するような、生まれ変わったような感覚になる体験です。

その後の生き方に大きな影響を与える場合が多くあります。

人が生きる大きな理由のひとつとして、この究極のご褒美を得ることがあります。

そして究極のご褒美とは、自分の脳内から出る脳内物質です。

自分の外側には存在しません。

究極のご褒美までいかなくても、自分の中から良い応えが毎日多く出てくるようになれば、今世のノルマを多く解放できる状態となるので、かなり幸せな人生となります。

また、来世から新たなステップに進むことができるようになっています。

自分の応え方というのは、過去世からの魂の記憶、今世の記憶、全人類の記憶(集合意識・アカシックレコード)という数種類の記憶からできています。

ですから、不快反応をする記憶(カルマ)が多いと、何事にも不快な応え方をしやすい世界で生きることになってしまいます。

人は過去世からの魂の記憶により、生まれる場所と性別を選びます。

過去世からの魂の記憶により個性も備わっています。

今世に大きな影響を与えるのは選んだ国、家系、性別です。

それと選んだ国という集合体の記憶、家系の記憶(家族連鎖)、親の記憶となります。

いわゆる機能不全家族に生まれてしまい、ある年齢まで毒家族・毒親の悪影響下で生きることを余儀なくされる場合があります。

受け入れ難いことですが、生まれる場所・家系・性別は、生まれる前の自分が考えて決めたことです。

今世でカルマを解放し魂を成長させるための修業の場として選んだのです。

でも、ちょっと間違っちゃったかな~^^; という場合もあるようです。

この場合かなり辛いのですが、自分の中の応えを変えることで人生を変えることができます。

一人で悩まないで、たむにご相談下さいね。

生まれ育った環境や性別は自分で決めた初期設定(宿命)となります。

初期設定は人それぞれ全く違うし、カルマ解放のための課題も全く違います。

ですから、何をすれば幸せを感じるかは人それぞれです。

幸せを感じるのは幸福系脳内物質が分泌された時です。

カルマを解放するほど、幸福系脳内物質は素早くたくさん分泌されるようになります。

また、至高体験に繋がる上質の脳内物質も出やすくなって行きます。

幸福系脳内物質が出やすくなるほど、自分の能力(脳力)が解放されるような状態になり、その後の人生に幸せな影響を与えます。

頑張ってたくさんご褒美をもらった方が、より人生は良くなって行くということです。

ですから、自分が日々生きている世界で体験していることに対して、快反応をたくさんすることが幸せへの答えだと言えます。

その為に、幸福系脳内物質を多く出せるように、反応の仕方を変えることが大切になります。

また、快反応をしやすい環境に移動することも大切です。

不快な人生から流れを変える為には、自分の応え方を変えることと、良い応え方をしている環境に身を置くこととなります。

自分の反応=応え方というのは、頭で考えても簡単には変わりません。

今まで嫌いだったものを好きになること、離れたいけど離れられない人やものから離れること。

どちらも理性で分かっていても、なかなかできることではありませんよね。

嫌いだったものには不快系脳内物資がドバドバ出ます。

脳内物質は麻薬の数百倍の効果があります。

理性で脳内物質の反応を覆すには、強靭な意志が必要になります。

条件反射の生理現象を変える訳ですから。

今まで依存していた人やものから離れることも、脳内物質の影響で簡単にできない場合があります。

これは思い出や情ではなく、脳内物質(脳内麻薬)の影響で離れることができないのです。

思い出や情は、脳内麻薬がつくり上げた幻想です。

恋愛で例えると分かりやすいですね。

好きになった相手がモラハラ・DV人だったとしても、最初はお互い良いところを見せるので未来への期待値が高まります。

特に女性は様々な幸福系脳内物質がドバドバ出るので、もの凄い幸福感を得られます。

また女性ホルモンも多く出て、美容と健康にも良い影響が出ます。

女性が恋に生きるのはこうした脳内物質の影響によるものです。

好きになった男=幸福系脳内物質という反応(自分の中の応え)が出るので、だんだん関係がおかしくなってきても、

幸福系脳内物質というご褒美をくれる人という反応の方が強くなっており、幸福系脳内物質の方が多く出てしまいます。

また、期待感を強めることで自分を誤魔化してしまい、幸福系脳内物質の方が多くを出せることが女性にはよくあります。

その為、ダメ男から離れられない状態が長期化します。

また、モラハラ・DVアタックによって出てしまう、不快系脳内物質への依存も悪影響を及ぼします。

不快系脳内物質も脳内麻薬なので依存性があります。

幸福系と不快系の脳内物質を交互に出す頻度が多くなると、性質の違う脳内物質に依存することになります。

ダメ男から離れられない負のループの出来上がりです。

何度も同じことを言いますが、自分を変える・人生を変えるということは、自分の中の応えを変えなければいけません。

自分の中の応えとは、脳内物質の分泌に関する反応プロセスのことです。

人は自分の脳から出ている脳内物質に依存しており、思考も行動も脳内物質に支配されています。

脳内物質の分泌におけるプロセスに異常があれば、不快反応をしてしまいます。

状況・環境が変わり、脳内物質の分泌の仕方を変えないといけない場合があります。

こうしたことを、他人や何かにやってもらえると思っている人は、自分の頭の中に手を突っ込んで脳の回路を繋ぎ変えて下さいと言っているようなものです。

即ち殺して下さいと言っているようなものです。

人や何かに依存した人生、人や何か任せの人生は、自分の中の応え変えることができません。

また、応えを人や何か任せにすることになり、人や何かに命を預けることになります。

それで幸福系脳内物質がドバドバ出て毎日が無条件に幸せならその生き方を続ければ良いでしょう。

でも、そんなことはなかなかありません。

自分で幸せな人生をつくりたい人、自分で生き辛さを解放したい人には、ヒーリングサロン多夢が結果へ導きます。

ヒーリングサロン多夢は、確実に幸せなれる基礎をつくれる場所です。

最後までお読み下さり、ありがとうございます。

皆様の幸せと健康と繁栄を心よりお祈り
ております。


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