至高体験 私はやりぬく。

至高体験 私はやりぬく。

至高体験のよろこびを

久しぶりにブログを更新します。

前回は五井先生の「消えてゆく姿」の教えの説明として西式甲田療法の「症状療法」について書きました。その冒頭に書いたように五井先生の教えには「世界平和の祈り」「消えてゆく姿」「守護の神霊への感謝」の3つ柱があります。

そして世界平和の祈りは守護の神霊への感謝で締めくくられています。

世界人類が平和でありますように

日本(にっぽん)が平和でありますように

私達の天命が全うされますように(わたくしたちのてんめいがまっとうされますように)

守護霊様 ありがとうございます

守護神様 ありがとうございます

また五井先生が定められた教義「人間と真実の生き方」の冒頭にも「神霊による守護」が示され、締めくくりには守護の神霊への感謝が世界平和の祈りと共に真の救いの要諦であることを述べられています。

『人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではなく、つねに守護霊、守護神(しゅごじん)によって守られているものである。この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世(かこせ)から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦(ゆる)し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真(しん)の救いを体得出来るものである。』

このように神霊の存在を認め、その守護を信ずること、さらに神霊への感謝の重要性を五井先生は繰り返し、述べられていますが、各人を守る神霊について、具体的にこうもおっしゃっています。

一人の人間がここに生きている時には、働いている人間の魂が一つではなくて、うしろに守護神さんが一体、守護霊さんが三体(主守護霊と副守護霊二体)四体の神霊が必ず守っていらっしゃるのです。少なくともネ。それでいろんな人のために尽くしている人や、大きな仕事をしていれば、たくさんの神様が付いて守っていらっしやるのです。自分を絶対守ってくださる方は四体必ずあるのです。

私は若いころからこのような神仏の存在をそれとはなく信じていました。そして五井先生の教えに出会ってからはその存在を身近に感ずるようになりました。

そしてそれが確信へと深まったのには、いくつかの体験がありました。

既にこのブログでは断片的に、それらを紹介してきましたが、今日はそれらをまとめて整理し、合わせて五井先生が守護の神霊の重要な働きについてのべられた言葉を紹介したいと思います。

まず最初は私自身の体験、山本印店との出会いについてです。

山本印店の桃仙(とうせん)先生からおしえられたこと

山本印店は東京、世田谷(せたがや)の知る人ぞ知る、「開運印」で有名なはんこ屋さんです。

山本印店の名前は信頼している人から聞きました。彼からはんこをつくることを薦められていたのですが、当初は開運印などには興味がなく、スルーしていました。しかし仕事上のストレスが高じるようになり、改めて薦められたこともあって、訪問してみる気になりました。

と言っても山本印店は予約を取らねばならず、その予約がなかなか取れないので有名です。しかし運よく予約を取ることが出来、店主の山本桃仙先生からアドバイスを頂く機会を得ました。以来、すっかり先生のファンになり、人生の節目節目で(はんこを作りに行き)アドバイスを頂くようになりました。それは2度目の訪問の折の事です。

現在の私の仕事は経営コンサルタントで、経営、業績改善のアドバイスを生業にしていますが、当時は世間で割に名が知られている会社の役員をしていました。

私はその会社の社長の右腕とか懐刀と周りから言われ、自分もその自負を持って仕事に取り組んできたのですが、徐々に社内で孤立感を感じるようになっていました。

新卒で入試した会社なのですが、社風になじめず、社長との間にもいつしか隙間風が吹くようになり、ついに頼みの社長から役員の退任と子会社社長への就任を言い渡されるに至ります。これはいわば左遷、降格に等しく、それまでサラリーマンとして順調な人生にあった私は失意の底に沈みました。山本印店を再訪したのはその時のことです。新たに設立する子会社の社印を作成する為の訪問でした。

桃仙先生に早速、「社印を作ってほしい」とお願いしたのですが、詳しい話を聞かず、社名のメモを見ただけで言下に「作る必要がない」と言われました。

理由は「この会社は貴方の会社でない、自由に出来ない、だから作っても仕方がない」でした。社長とはいえ自分の会社でないのは事実、その通りです。ちなみにその後しばらくして、本当の自分の会社のはんこを作りに伺った折には、屋号にまでアドバイスを下さり、すぐに作ってくださいましたから、その眼力はホンモノです。

「作っても仕方がない」という言葉を聞いて一層、暗澹(あんたん)たる気持ちになった私の様子を察した先生は詳しい事情を聞いてくださりました。そこで私は問われるままに、会社の事、社長とのことなどを話しました。私は自分の人生が悪い方へ悪い方へと向かっているように感じており、その気持ちは先生にも通じたと思います。私の話を聞かれた先生はこのようなアドバイスを下さりました。

母方のご先祖様が守護霊

その折の先生の言葉です。

「あなたは悪い方へ悪い方へ向かっていると感じているようだけれど、まったく逆。あなたは良い方へ、良い方へ向かっているんだよ。あなたのご先祖様、母方のご先祖様は大変立派な方で、この方があなたを守っている。全然心配することなどない。ところでお墓参りはちゃんとしているかい?(私「母方のお墓はどこにあるかしれません」) ダメじゃない。ちゃんとお参りしないと。」

更にこうおっしゃいます。

「あなたが会社で孤立するのは仕方がない。あなたは大久保彦左衛門*のような人だ。唯一人正しい事を
っている人だから煙たがられ、孤立する。そしてその孤立感や思うようにならない焦燥感が高ずると病気になってしまう。だからあなたを守護しているご先祖様がそうならないように、あなたを安全な方に安全な方に連れて行って下さっているんだよ。」
(注*大久保彦在衛門=徳川幕府、草創期の旗本、頑固一徹な気性で、それを見込んだ家康が三代将軍家光の意見番=耳に痛いことをいう役割、のお墨付きを与えたとの伝承がある)

おそらく、あまりに私がしょげていたからでしょう。更にアドバイスが続きました。

「今は判らないだろうけれど、2年もしないうちに判るようになる。あなたの会社は2年以内に外資との間に大きなトラブル、事件が起こる。その時、もしあなたが役員でいたら、その累(るい)はあなたにも及ぶ。そうならないようにあなたを安全な所へ連れて行って下さっているんだ。この会社(子会社)は何の会社だい?(私「教育やコンサルティングの会社です」) へぇーそれはあなたの天職だよ。あなたはそのために生まれてきたようなものだ。会社はよくあなたのこと見てるよ。だから心配無用。」

概略以上のようなやり取りがあり、はんこを作ってもらえなかった私はがっかりして山本印店を後にしました。そして一年半後の事です。

天職と言われた仕事です。子会社の社長として、意欲をもって取り組んでいましたが、桃仙先生が予言された通りの事件が起こりました。それが原因で私が仕えた2代目社長が辞めることになり、これには正直驚きました。

桃仙先生からはその後、本当の自分の会社のはんこをつくる際に、クライアントであった数社の名前を上げて、どのように付き合えば良いか、質問した時はこのようなアドバイスも頂きました。

「あなたは頼まれたことだけをやっておればよい。あなたから離れていく会社やあなたが見放した会社はダメになるから。」

先の天職というアドバイスと共にこれも大きな自信になりました。

この時の顛末は以下のブログに詳しく書きましたので、興味のある方は読んでみてください。

体験談②守護の神霊の存在を確信した山本印店との出会い

体験談③守護の神霊の働き、「人間万事塞翁が馬」とその後のこと

前述のように、守護の神霊の存在を理解していたつもりでしたが、この体験を通じて、理解は確信へと深まりました。そして桃仙先生のアドバイス通りに母方の墓所へのお墓参りは私の習慣にもなりました。

2つの神秘体験

守護の神霊への確信が深まった別の体験もあらためて紹介します。

まだ私が先の会社の役員だったころの話です。前述のように仕事上の人間関係や責任などから私は少なくないストレスを抱えていました。

当時すでに世界平和の祈りに出会っており、それは大きな力にはなっていましたが、負けまいとする気持ちと孤立感や焦燥感から負けそうになる弱い心の格闘から抜け出せない状態にありました。

そんなある日、白光真宏会の富士聖地の「七つの場の行事」に参加しました。

七つの場の行事はそのころ始まったばかり、初めての参加でした。

参加といっても個人で行う行(ぎょう)で、富士聖地にある片道2-3分の遊歩道に設けられた七つの場で短時間に行います。

七つの場 

七つの場とは以下の七つの場所です。

1. 消えてゆく姿の場

2. 自己否定などの想いを消す場

3. 願望成就の場

4. 光明思想徹底行の場

5. 地球世界感謝行の場

6. 我即神也の場

7. 人類即神也の場

下写真が七つの場への入り口です。

行(ぎょう)と言っても30分もかからないで終えることが出来る簡単なものです。

例えば1の「消えていく姿の場」では自身の心に去来する良くない思い、雑念、妄念、病気や不幸の類をメモ用紙に書いて、世界平和の祈りをしながら炉にくべ、それを燃やします。

その日、私は一番目、二番目を済ませ、三番目の願望実現の場へと進みました。

願望実現の場でもメモ用紙に名前と自分の願望を一つだけ書いて、それが実現する日付を書き、それを封印、所定の場所に安置します。実現したい自分の願望を改めて考えてみましたが、当時は特に物理的な願望はなく、前述の不安動揺にする自分の心に手を焼いていましたので、メモ用紙には「安心立命の境地に立たせてください」とだけ書き、所定の場所に置いて、残りの行を済ませ帰宅しました。

正直言うと、「安心立命の境地」などという抽象的なお願いが短期間にかなうなどとも思いませんでしたから、そのことはすぐ忘れてしまっていました。

49日目の至高体験

それから一月少し経ったころ、当時、白光真宏会の本部があった市川市の聖ヶ丘道場の練成会に参加していました。練成会とは聖ヶ丘道場で当時定期的に行われていた世界平和の祈り(統一)を中心にした行事です。

その日の何回目かの統一を行っていた時のことです。目は閉じたままでしたが、ハッキリした意識があります。突然球体の中心に座っている自分を感じました。手を伸ばしたわけではないのですが、手で触れたような球の感触を実際に感じました。さらに私を包むようなその球体を意識したとたん、私の意識が自分の胸の中心に向かって収縮していく感覚を感じました。どんどん私の中心に意識が向かいます。そしてそれが一点に収縮、行きついた先に「安心立命の境地」がありました。

何とも言えない幸福感、何とも言いようのない安心感、そして何とも言いようのない快感がそこにあります。「至高体験」と言っても良いものでした。そして私は求めていた究極の安心立命が自分自身の中にある事をハッキリ認識しました。そう思ったとたん私の耳に五井先生の霊笛と柏手が聞こえ、練成会の統一修行の場に戻っていました。

最初は何が起こったのかよく判りませんでしたが、よく考えると七つの場での私の願望が聞き届けられ、守護の神霊の導きで、私がいつか行くことが出来る「安心立命の場」に私の意識を連れていって頂いたのだ、ということが判りました。

その後、大ベストセラーになった「神との対話」を読んでいる時に、天国だったか、神様のいらっしゃる境地だったかを問う質問に対して、「永遠に続くエクスタシー」と答えているのを読んで、「それだ!」と思ったことがありますが、それは明瞭な意識体験でした。

これには後日談があります。七つの場の行事の日から、この体験の日がピッタリ49日目であったことに、後日気がつきました。7は神様に縁がある数字で、7×7=49も意味のある数字です。私にはとても自力であのような境地へ行けたとは思えませんから、49日目に気がついたとき、「お前はね、ここまで来れるんだよ」「心配いらないんだよ」と私を守護して下さる守護霊、守護神が教えて下さったのだ、と改めて確信できました。以降、更に守護の神霊の働きへの感謝の念が深まったのは言うまでもありません。

ただ、この体験があったからといって、それが何か特別なことだとは今では思ってはいません。また自分が特別だとも思っていません。

誰にも霊性、神性があり、そして守護の神霊がついていらっしゃいます。私は幸い世界平和の祈りや七つの場を機縁にして、霊性、神性に触れる機会を得ることが出来たというだけです。

そういう体験をしましたが、その後も不安動揺の心が出て来ましたし、常時、安心立命の境地にいるわけでもありませんでした。

しかし、この体験は目には見えない守護の神霊の実在を明瞭に認識する良い機会になりました。

だから、誰がなんといようが、神様はいらっしゃいますし、より身近には先祖や縁のある悟った方が神霊となって四六時中守ってくださっていると確信をもって言えるようにもなりました。

過去のブログではこの体験と共にもう一つの体験を紹介しています。それが「妖怪との遭遇」です。

妖怪との遭遇

これも上の体験の前後にあったことです。ある日、仕事で京都に行くことがあり、定宿にしていた「河原町三条上る」にある老舗ホテルに投宿しました。その夜は得意先の接待。京風の町屋で中華料理屋をご馳走になりましたが、紹興酒が進み、9時過ぎにはすっかり酔ってしまいました。二次会の誘いを断り、呼んでもらったタクシーでホテルに戻り、ようやく部屋にたどりついた私はジャケットも脱がずにベッドに倒れ込んでしまいました。

その日はツインのシングルユースで、奥のベッドに倒れ込みましたが、真夜中過ぎ、寝苦しさに目を覚まし、ジャケットとズボンを脱ぎ、再びベッドに横になりました。その後すぐの事でした。私の後方のもう一つのベッドあたりで「クシャクシャ」と新聞紙を丸めるような音がしました。

すぐ側で聞こえたので、慌てて振り返りましたが、何もありません。外の廊下を誰かが通ったのか、と思い直し、もう一度同じ姿勢で横になった途端の事です。横向きに寝ている私のベッド側の右半身に、それこそ10本くらいの手で触られる感触をハッキリと感じました。それが、あまりに明瞭な感覚だったので、飛び起きました。

直前の新聞紙を丸めるような音、それに続くこれです。私はこの部屋に問題があると思いました。よく耳にする幽霊の出る部屋に違いない、と思いましたが、さほど幽霊を怖いとも思いませんので、「まぁー仕方ないな」と、「もう出るなよ」程度の事を思いながら、再びベッドに横になりました。

その途端、同じことがもう一度起こりました。10本程度の手のようなものでベッドの中から触られたのです。

「これはもう寝てられないな」と思い、仕方がないので持参のパソコンを立ち上げて、前日出来なかったメールのチェックや仕事上の連絡などを始めました。そのうちに空が白みだし、鳥の鳴き声が聞こえるようになりました。

「もう大丈夫だろう」ともう一寝入りしようとした時に、そのホテルに連泊の予定だったことを思い出しました。さすがにこの部屋に連泊は出来ません。結局、ネットで別のホテルを取り、二泊目はキャンセルしました。

チェックアウト時、クレームの一つも言おうとも思いましたが、大人げないとも思い、キャンセルの理由を「予定が変更になった」としてホテルを出ました。

私は霊感、霊媒体質ではありませんので、それまでも、それ以降もこのような体験をしたことはありませんから、不思議には思いましたが、しばらくそのことは忘れていました。

このことを改めて思い出したのは、先に山本印店を紹介してくれた彼と仕事の打ち合わせをしている時でした。

彼は五井先生にもご縁のある方で、優れた霊覚を持っている人です。優れたというのは、彼の霊覚の確かさはそれまでの付き合いで何度も経験していたからです。

幽霊でなく妖怪?

彼との打ち合わせ中、このホテルでの体験を思い出し、初の幽霊体験として話をしました。

彼は首をかしげ、「それは幽霊じゃなく、一番近い表現で言えば妖怪ですよ。」と言います。

「それは何です? また、なぜそんなのが出たんです?」と重ねて尋ねる私に「マクラガエシって判りますか?そういった類です。」と言い、更に、「不思議なのはなぜそこに来たのかですね。横井さんとそれは全く関係、縁がないんですよ。出てくる理由がわからない。」と答えてくれました。

前述のように、彼の霊覚には信頼が置けましたので、そういう事もあるのか程度に納得し、しばらくそのことは忘れていました。

そして、それから数ヶ月、都内のホテルのロビーで、再び彼と仕事上の打ち合わせをしていたときのことです。

たまたま隣の席にいた年配の男性二人の大きな声の会話の話題が古い漫画のことだったことから、幼い時に水木しげるの漫画に強い印象を受けたことやそのタッチの印象が強烈だったので水木しげるの原画を探していることを彼に話しました。

それを聞いた彼は即座に「それで判りました。水木しげるですよ。先日のホテルの妖怪の原因は。」と言い、このように語ってくれました。

「横井さんが水木しげるに意識を向けたんですね。しかもわりに長い間原画を探していましたね。それで横井さんと水木しげるとの間にいわば道が出来たんです。その道をたどって、ホテルの妖怪がやってきたんですよ。水木しげるという人はそういう人、いわば妖怪たちの世界との接点なんです。だからそこに意識を向けるとそこにいる妖怪との道が出来るんですよ。それで横井さんに興味を持ったか何かで、それが出てきたんです。」

これを聞いて私は「なるほど」と思いました。これまでも何度か書いてきましたが、私たちの世界が異次元に包まれていることは、物理学、量子力学の研究から明らかになっています。私たちがいるのは、縦横高さの3次元空間に時間を加えた四次元世界ですが、研究では11次元世界までの存在が認めら
ています。

それらの世界は我々のすぐそばに存在しています。すぐそばと言っても空間的概念ではありません。敢えて言えば重なっている、織り込まれている、というのが適切な表現でしょう。そして異次元世界を大きく分ければ、これまで何度か書いてきたように幽界、霊界、神界がそれにあたります。私のところにやってきた妖怪の世界は幽界にあるのでしょう。

それらの世界は目には見えませんが、存在します。目に見えるもの、耳に聞こえるものしか信じない、というのは科学的ではありません。

可視光線は人間の目に見える範囲の波長の電磁波ですが、目に見えない赤外線や紫外線が存在しないという人はいないでしょう。狩猟で猟犬を呼ぶときに使う犬笛の波長は人間には聞こえないものですが、犬には聞こえます。見えなくとも、聞こえなくとも「存在する」ものがあるというのは少し冷静になれば判ります。

すべてのものは波動ですから、波動が違うものは交わりません。見えませんし、聞こえません。物理学や量子力学で言う多次元世界はそういうもので、幽界、霊界、神界も同様です。見えないから「ない」のではありません。

少し脱線しましたが、水木しげるに向けた私の意識をたどって妖怪がやってきたことから気付いた大事なことです。

それは意識の力です。妖怪にだって届くのですから、もちろん神様にだって届くでしょう。前述の七つの場の体験も同じように考えることが出来ます。七つの場を通じて私の意識が一層強力に守護の神霊に向けられたのではないでしょうか。

そう考えれば、「守護霊さま有難うございます、守護神さま有難うございます、」という感謝の思いはそのまま道になり、守護霊、守護神を身近に引き寄せ、縁ある人、子孫たちを守りやすくしてくれるんだ、だから守護霊、守護神への感謝が大事なのだ、という事になります。これらの体験は改めてその事を深く認識する良い機会になりました。

五井先生の教え

五井先生もこのように仰せです。

守護霊にとって、一番働きやすい、肉体人間の状態は、常に守護霊のほうに心を向けていてくれることである。守護霊の存在のいかに重大であるかを知って、常に守護霊に感謝を捧げている子孫ほど、守りやすい肉体はないのである。

これは「意識を向けさえすれば通じるのである」という私が妖怪体験でもてた確信を裏付ける五井先生のお言葉です。

桃仙先生の「お墓参りをしなさい」という言葉も、守護の神霊への感謝の念がその守りを一層強く、確かなものにする、という事をおっしゃったものです。

だからお墓参りや仏壇に手を合わせることには大事な意味があります。もちろん、お墓や仏壇の中にご先祖や守護霊がいらっしゃるわけではありません。

しかし、通常、人は具体的な対象があるほうが、その気になるものです。何もないより対象が明瞭なら本気になって感謝をささげることが出来ます。一種のアンテナが立っていると考えても良いでしょう。

夢も守護霊の尊い働き

五井先生は目に見えない守護の神霊のさらに「目につきにくい」重要な働きが「夢」であると、このように教えて下さっています。

神は愛である。愛であるから、守護神を我らにつかわし、守護霊を任じて、人間世界の悪因縁を消滅し去ろうとしているのである。守護霊を信じ、守護神を想い、神に感謝しなければ、いくら因縁の転回や、心の法則を知ったところで、人間は永久に救われない。

こちらが知っても知らなくとも、守護霊はただ、黙って人間を守っていてくれる。夢などはその顕著なるものである。

夢は何故見るか、この問題は世界の学者が種々と研究をつづけているのだが、いまだに、はっきりとわかっていない。夢とは人間の業因縁の消滅する姿である、と私はいう。想念は必ず現われる。この法則は動かしがたい法則である。この法則のままに、想うことがそのままこの肉体界に現われたら、この人生は、もっともっと以前に滅びていたに違いない。

何故ならば、肉体の人間の心を奥底まで解剖すれば、愛は情に流れて執着となり、恨みは恨みを重ね、悲しみは悲しみを追い、闘争心は常に戦火を絶やさず、情慾業火は至る所に燃えひろがり、殺傷事件は眼に触れるあらゆる箇所に展開されていることは明らかである。

この業念の感情を、肉体脳髄の念の休止している間に、巧みに夢として肉体世界と離して、画き出してしまうのが守護霊の偉大なる一つの仕事なのである。現われれば消えるのが想念の性格であるので、夢として画き出されてしまえば、その想念は消えてしまう。

肉体世界に現われた場合は、その現れが、また頭脳にキャッチされて、再び同じ想念を幽体に記録してしまうが(それでも現われれば幾分ずつか、消えてゆく。)、夢の場合はその想念が巧みに戯画化されていて、いったいなんの想念であるか判然としないので、醒めた後人で、いくら肉体頭脳で思ってみても、その夢に現われた想念は再び幽体に記録されることはない。その想念は夢によって一度断ち切られるので、業因縁がそれだけ消えたことになる。

五井先生は、夢はこの肉体界(現世)に表れるべき悪想念を夢という形で顕し、消してしまう守護霊の働きだとされて、更にこのようにおっしゃいます。

たまたまはっきり憶えている夢もあるが、守護霊が予知的に、その人に示す夢(霊夢)以外は、その夢の画が、やはり、その想念の内容を察知できぬように描いてあって、判然としない。フロイトという精神分析学者は、この夢をすべて性欲(リビドー)の現れと解釈していて、夢に現われる物質、風景、氏名等によって、それぞれの内容を解剖しているが、私の述べていることとはまるで異なる解釈で、人間の救いには、あまり役立たぬものと思う。

判然としない夢は、そのまま判然とさせる必要はないので、ただ、簡単に、自分の悪想念が肉体の悪い運命となって現われるのを、守護霊がその夢と現わして消して下さったのだ、と感謝すればよいのである。このことを知ることは大きな救いになると思う。

この守護霊の働きは真に感謝しなければならぬものである。守護霊は霊界、幽界、肉体界と三界を通して働ける者なので、幽界において、できつつある運命、あるいはすでにできあがって、時間の経過につれて自然に肉体界(現界)の運命として現われようとする悪想念の結果(因果)を、あらゆる手段をもって、その人間の運命として現われぬように修正してゆく。

自分が過去(過去世も含めて)に発した想念行為は善悪を問わず、必ず自分に返ってきます。これが因縁因果、因果応報の理法です。善い方の因果応報はどんどん現れて、受ければよいのですが、悪い方の因果応報については、守護の神霊がなんとか小さく、軽く済ませられるようにと、工夫をされていらっしゃるのでしょう。夢は正にそんな働きである、という五井先生のお言葉です。これに関わるような体験を以前のブログに書いたので、これもあわせてここに紹介します。

ストーカー事件

私の実家は大阪府枚方市にあり、実家に帰った時のことです。私の習慣は朝の散歩で、その朝も近隣で小一時間の散歩を楽しんでいました。

その帰り際です。前を歩いていた四十歳くらいの男性からいきなりストーカー呼ばわりされたのです。

前を歩いていたと言っても、私は脇道から彼の歩いている道へ出たばかりで、ほとんど出合い頭に近い言いがかりでした。私は何のことかわからず、一瞬絶句しましたが、彼は「ずっとついてきている」「何かうらみがあるのか」「いい加減にしろ」などと一方的に罵声を浴びせかけてきます。

もちろん初めて会った男性でしたから、理不尽に対して反論しましたが、彼は聞き入れません。その日は仕事があり、余り時間を取るわけにいかないので、どなる彼を振り切って、帰路につきました。幸い彼は追っては来ません。

帰宅するまでほんの5分ほどでしたが、男性を振り切った直後は理不尽な彼への怒りで頭に血が上り、心拍数も上がっていたのですが、家に着くころにはすっかり気持ちが穏やかになり、彼への感謝の気持ちすら湧いてきました。

なぜそのように心境が変化したのかですが、それはこのように考えることが出来たからです。

人生で起こることには必ず原因や理由があります。さっきの理不尽なストーカー呼ばわりにも理由があるはずだと考えていたら、あれは「消えていく姿」だったという事に気がついたのです。おそらく私には誰かと争い、もしかすると怪我でもするような因縁があったに違いありません。原因があれば必ず結果が生じます。その現れるべき因縁をたまたま通りがかった少しおかしな男性からの言いがかりという形で表して、小さく、消してくださったに違いない、ということが理解できたからです。

「消してくださった」としたのはそこに守護の神霊の働きを感じたからでした。

私はこの事を真実そうであったと思っています。

五井先生はこのような守護霊、守護神の働きをこう教えてくださっています。

過去世の借金というか、過去世の因縁として悪い行ないをし、悪い想いをしていたら、それだけが現われて消えてゆくわけです。
その悪い行ないというのはどういうのかというと、神のみ心から離れているもの、大調和精神のみ心から外れているものです。
そういう業がある以上は、神様のみ心の中にスッカリのれません。神のみ心にスッキリとつながるのを邪魔する業想念というものを、病気や不幸や災難にして出して消してしまうわけです。
業がある以上はどんなことをしても、それが出てくるわけです。しかし、守護霊、守護神につながり、祈り心で加護を願っていますと、守護霊、守護神が肩替りしてくれるのです。
百ある業想念を九十背負ってくれ、あと十だけ肉体のほうへ出して、肉体は十だけのものを背負っていけばいいようにしてくれるのです。
いっぺんに千だとか万だとかたくさんのものを出したら苦痛が激しくつぶれてしまうから少しずつ出して消してゆく。人間側に力がつけばそれだけのものを出してゆく。
そしてあまり気が付かないうちに出してしまって、苦しみ少なくてこの人生を過ごしてゆけるようになるのです。ですから守護霊、守護神の加護というものは大変なものなのです。
五井先生はこうもおっしゃっています。
消えてゆく姿というのは、自分が消すのではないんですよ。(中略)自分で消せるようならば、みんな悟れて楽なもんですよ。自分で消せないところに、守護霊守護神がいて、神様の愛が本当にそこでわかるのです。この世というものは、自分ではなんにも消せない。自分で消すものは一つもないです。みんな守護霊守護神が消してくれる。

散歩中のストーカー呼ばわりの時に、怒りを感謝に置き換えることが出来たのはこの五井先生の教えが思い出されたからです。だから家に帰るまでの数分、ずっと心の中は神様、守護霊への感謝で満たされていました。

このブログで改めてこのエピソードを紹介しながら思うのは、人生で起こる不幸や不都合の原因は過去の自身の想念、行為にあり、それが自分に戻ってくるという因果の法則の問題であるということ、さらに子孫や被守護者が出来るだけ苦しまないように、痛みが小さくなるように力を尽くしてくださっている守護の神霊の存在がある、ということです。

< p>そして人生の不幸や不都合こそ、幸せや人間としての成長への転換点として真に喜ぶべきものであり、神霊への感謝とともに受け止めねばならないものである、ということです。

守護霊の働き方

五井先生は更に具体的な守護霊の働きをこのようにも教えて下さっています。

いったいどういう風に守護霊が運命を修正してゆくかというと、種々の方法がある。

例えば、転覆した汽車に乗るべきを、忘れ物をして乗り遅れたため、生命の危機を逃れた。

という場合、物を忘れた、この忘れ物に守護霊の働きがあるので、守護霊の念がその人の肉体頭脳に働きかけ、その人の頭の回転を瞬間的に阻止して物を忘れさせるのである。

また他の人を使って、自分の守護する人間を助ける場合もある。例えば、ある人が、何か急に友人Aを尋ねたくなり、別段に用事もないのに、急用でもある気持で、その友人を尋ねる。と、友人A一家は、事業に失敗して、今まさに一家心中の手前であった。驚いたその人はその友人の為に早速一肌脱いでやることになった。この場合、Aの守護霊はAを助けるため、Aと波長の合う友人のある人に思いを送り、Aの家へ引き寄せたのである。この友人なら、Aを救ってくれる、ということを、守護霊ははっきり知っているのである。この二つの例のようなことが、常に人間世界の生活の上に起っているのである。

五井先生は守護の神霊の働きがどのように行われるかの例を上のように紹介され、このようなことが常に人間世界の生活に起こっているともおっしゃっています。それはもう涙ぐましいほどの働きがあると次のようにおっしゃってもいます。

守護霊はその被守護体の眠っている時から醒めて働いている時、休んでいる時、いついかなる時間にも、この人間を守りつづけているのである。そして、この人間の発する悪想念の蓄積を浄めるために、たゆまざる努力をつづけているのである。もっとも、肉体界(現界)の救いとしては、この人間にでき得るかぎりの努力、経験をさせつつ、いざという時に助けるのである。

守護霊は子孫や深い縁のある守護の対象者の真の救われ、魂の進化、成長に必要な努力、経験をさせつつ、見守ってくださっています。お話は続きます。

やっと眠りの世界に肉体が入った時、無心になった肉体脳髄から、悪想念の蓄積(その時々の因縁)を夢として消すことより仕方がない。

そこでこうした人を守るためには、先程の二例のように、他の人に送念して、他の人から注意や、助太刀をしてもらうことにする。この時の相手は、必ず過去世において、守護霊同志、または、肉体人間同志が、因縁浅からぬ者でなければ駄目なのである。

しかし時には、その被守護体の人間が、あまりにも業因縁が深く、迷(無明)で分霊の光をほとんど覆ってしまっている場合には、いかに守護霊が全力を挙げて浄めたり、奔走したりしても、通じない。仕方がないので、守護霊は、守護神に救援を願うのである。

すると守護神はこの願いを聞き入れて、大いなる神の光を、その肉体人間に放射する。この光は業因縁を通して、分霊に通じ、分霊の光の力が増してくる。この時、なんとなくこの肉体人間の心(脳髄)に宗教への関心が湧いてくる。この場合、たんにご利益信心的な心であるかも知れない。それでもよいのである。この人間にとっては、その気持の起ったことが、一歩も二歩もの進歩なのである。その時、守護霊は、その機会を逃がさず、その人間に適当する宗教に、その人間を導くのである。

五井先生は更にこのようようにも仰せです。

(守護の対象者が)苦しくてどうしようもなくなれば、必ず守護霊さんが連れてくるんです。それで消えてゆく姿をやらせるんですよ。消えてゆく姿というのは、自分が消すのではないんですよ。

よく間違えて、自分がいき張って消すんだと思っている。コンチクショウと思って消そうと思うのですが、なかなか消えない。あれ邪魔だから消しちまえ、なんていうのではないのです。自分で消すのはそれは自我です。あるいは自力というのです。

自分で消せるようならば、みんな悟れて楽なもんですよ。自分で消せないところに、守護霊守護神がいて、神様の愛が本当にそこでわかるのです。この世というものは、自分ではなんにも消せない。自分で消すものは一つもないです。みんな守護霊守護神が消してくれる。

たとえば短気の想いがあるとする。これを消さなきや消さなきや、消そうと思っても、思うそばから出てくる。恐怖でも同じです。恐れまい恐れまい、恐怖してはいけない、いけないと思っていると、よけいに恐ろしくなってくる。そういう経験がありますね。

それは自我なんです。力みというんです。よほど強い人をのぞいて、ふつう一般の人では消すことは出来ない。そこで私は、消してゆく姿ではなくて、消えてゆく姿というんです。決して消してゆく姿とはいっていません。消えてゆく姿なのです。

それでもなかなか消えない場合にどうするかをこうも仰せです。

また、ある場合は、守護神の光によって、一挙に幽界に転出してしまうことがある。いいかえれば、急死してしまうことがある。それは、そのほうが、この人間の進歩に都合が良いからである。

厳しいお話ですが、守護される当人に一向に自覚が生じず、これ以上地上にとどまっても進歩がない、運命の修正がままならない場合は、死によって、運命の修正が可能な世界に転出、移行させることもある、ということです。そして、守護霊、守護神への全託と感謝こそが幸福な人生への直道であることを教えてくださいます。

以上のように守護霊は肉体人間と一つになって、人間を善導しているのである。人間が、自己の運命を改善し、幸福になりたいとするならば、ただ、守護霊に自己の運命を委せればよい。守護霊さん、ありがとうございます、守護神さん、ありがとうございます、神様、ありがとうございます、と常に感謝していればよい。

この心が神への全託なのであり、守護霊の活躍を充分にさせる一番よい方法なのである。

この心でいれば、その人の行動はおのずから、調和した整ったものになり、生活は楽しく楽になるに決まっているのである。

今日ここで紹介した自身の体
験からも、これらの五井先生のお話は「その通り」だ、断言できます。また五井先生はもし迷った時は守護霊に尋ねなさい、とおっしゃっています。今日の締めくくりに紹介します。

もし迷う事柄があったら、心の中で守護霊さんを呼びながら、その裁断を願えば、必ずなんらかの形で、その答をしてくれる。それは前に述べたように他の人に逢って、その人の口から聞かされるかも知れぬ。あるいは、ピンと直感的にひらめくかも知れぬ。ただ、この場合、前者なら、最初に逢った人であり、後者なら、最初の直感、第一直感が、その答である。

その答がいかに、現在の自分に都合が悪いように思えても、それは後によくなる方法に違いないのである。それを信じなければならぬ。第二直感で出てくることは業因縁の答であるから、よくよく注意せねばならぬ。

そこで、私は迷った時は氏神様のおみくじを引いたら良い、と思います。またそのようにアドバイスをし、良い結果を得たことがあります。

おみくじは守護霊、守護神への感謝を念じ、「どうか良いアドバイスを下さい」と思いながら引くのです。その場合、内容が大事ですから、吉凶に動じず中身をよく読んでみたらよいのです。そこにヒントがあるはずです。

長くなりましたので、今日はここまでとします。近いうちにこの続きを書こうと思います。

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ストップ!至高体験!

前回の続きです。
守護の神霊の働きを、一層強く実感した体験です。少々長くなりますが、私のビジネスキャリアのスタート時点からお話しします。生々しい体験談ですが、そろそろ時効にしても良いのではないかと考え、ここに書くことにします。

創業者の息子さんに気に入られて
私が大学卒業後に就職した会社は当時注目企業ではありましたが小さな会社でした。
しかし、創業者の並外れた力によって入社後10年ほどの間に全国的にもよく知られる企業に成長しました。その意味では私は幸運でした。

私は下積みから始め、入社7年目の頃に創業者の息子さんに気に入られ、徐々に重要な職責を担うようになりました。創業者の息子さんはのちに2代目社長になる人ですが、周りでは「ニコイチ(二個一)」と陰口を言われたほど、私に目をかけてくれていました。ニコイチとは二人で一人前という事です。その陰口が私に耳に入り、息子さんに「こんなことを言われているそうです」と伝えたところ、「良いじゃないか。本当のことだ」と言ってくれるほど、信頼もされていたと思います。

「いずれこの人が会社を継いで、経営の重責を担うのだ」と思えばまだ三十前後、未熟、非力な私でしたが、「この人の為に骨身削って、仕えよう」と心に期するものがありました。
そんな私の気負いを「生意気だ」と感じる先輩も少なからずいたと思います。息子さんも才気煥発するところがあり、古い幹部からは少なからず宇宙人のように見られていましたから、私も含めて「ニコイチ」と揶揄されたのも、今から振り返れば無理のない事だとも思います。

私が三十歳になる前に、大きなトラブルが発生します。東京と北海道での取引先の脱退騒ぎです。本社は大阪でしたが、東京(東日本エリア)は別の会社のような状況で、それが高じて内紛が起こったのです。
その対策の為に創業者の弟さん、当時のNo2が東京に派遣されました。そしてその方から追加の人材投入の要請があり、創業者は息子さんを東京に送り込む決心をなさいました。

そして、その息子さんと一緒に東京へ行くように私に下命がありました。当時、大きな会議の中で、創業者から「○○(息子さんの名前)には横井をつける」と発表されたことが記憶にありますから、創業者も期待をもって送り出して下さったと思います。

そこから私の東京でのビジネスキャリアがスタートします。
それまでも会社は順調に成長を続け、短期間に大成功をおさめた企業として、知らない人はいないほどになっていました。そしてその後、創業者が年齢を重ねられるにつれて、息子さんも役員から役付き役員に、更に副社長になり、事業継承、代替わりが秒読み態勢に入っていきました。

息子さんは前述のように才気煥発型の人で、創業者に仕えた幹部は表面上はともかくも一定の距離を置くところがありました。
息子さんは新しいことが好きで、色々思いつかれることを矢継ぎ早に私に指示します。私もできる範囲でこれに応え、私のやりたいこともドンドンやらせてもらいました。
前述のように、未熟、非力な若造でしたから、成功も、失敗もありました。今考えるとそのころの経験が良い勉強になり、今の私を支える力になっています。

順調なビジネスキャリアに不安が
そんな私が40代の働き盛りになった頃からです。前回のブログに書いたように仕事の上でのストレスを少なからず感じることになりました。恥ずかしい話ですが、仕事上のストレス、というのは「人間関係」です。新卒で入り、既に二十年以上勤務している会社でしたが、周りの空気になじめず、孤立感や居心地の悪さをぬぐえずにいたことが一つ、もう一つは息子さんとの関係でした。

息子さんとの関係は特に代替わりしたトップ就任以降、それまでと違ったものになっていました。
周りは私の事を息子さんの腹心、イエスマンと考えていたと思います。また息子さんは前述のように、才気煥発、アイデア豊富で、思いついたことを熟考なしにやろうとするところがありました。創業者や創業者の弟さんたちはそのことを心配されてたと思います。
もちろん私も息子さんのそのような面はよく承知していましたので、いざというときは私がブレーキ役になろうとも思っていました。

息子さんのトップ就任前にも何度か意見が合わず、対立したことがあります。
その代表的なケースが息子さんが目論んだ「CIの一新」でした。
CIとはコーポレイトアイデンティティの事で、判りやすく言えば、「企業を象徴するマークやロゴなどのデザイン」のことです。

当時CIの見直しは一種のブームのようになっていました。そういう風潮もあったのでしょう。
トップ就任が視野に入った頃、息子さんは社内にCIプロジェクトを立ち上げ、外部から専門家を招き、CIの一新に取りかかりました。私の先輩がプロジェクトリーダーに選ばれて、1年ほど活動をし、いよいよそのとりまとめに入ろうとしたとき、私にもプロジェクトに参加するようにとの指示がありました。

まだ若かった私はCIなるものをよく承知していませんでしたし、またプロジェクト活動についても深くは承知していませんでした。しかし、その内容を知るにつけて「これは困った」と思う事になりました。

私は創業者と息子さんの間、またお二人を含んだ取締役会で当然何らかの議論がなされているものと思っていました。しかし、役員会でキチンとした報告なり、審議が行われることなく、創業以来、世間に広く親しまれてきたデザインやマークを一新するというプランが億単位のお金をかけて進行していたのです。

ある日、息子さんと一緒にCIデザインを発注したデザイナーのところへ打ち合わせに行くことになりました。その時、初めて私はそのデザインを見ることになりました。
新デザインは全く良いとは思えませんでした。

当然現在のデザインに親しんでいる得意先の大きな反発が予想できました。看板の付け替えなどに要する費用はプロジェクトに使った億の単位の費用の何倍にもなることも予想できました。
もちろん創業者の大反対は想像に難くありませんでした。
おそらく社内の関係者で息子さんが手掛けている仕事でないとしたら、賛成する人は皆無だったでしょうが、それを言える人はいませんでした。

息子さんはそのような状況が一向に目に入らないのか、私の目の前で「来週の役員会で決議します、決議したら直ちに看板などのデザイン変更に着手するので、引き続きよろしくお願いします」とデザイナーに役員会決議以降の業務の依頼まで行いました。

私は「ここで言わないといけない」
と思い、意を決して「絶対無理です。役員会が通るわけはありません。また取引先も収まりません。この案を役員会に出すのは絶対反対です」と外部のデザイナーの前でしたが、言ってしまいました。

気まずい空気が流れたのは言うまでもありません。そのまま打ち合わせは流会になり、不機嫌になった息子さんと帰社することになりました。

その後、役員会での発表が見送られたか、形を変えて行われたか、古い話で記憶にありませんが、CI計画は沙汰闇になりました。

強まる社内での孤立感
小さなことで息子さんに意見することはありましたが、このような問題で、ハッキリ反対を表明したのはこの時が最初だったように思います。
そして不幸にもそのような事態はだんだん多くなっていきました。

特に息子さんがトップに就任し、私も役員に登用されて以降、役員という立場とは裏腹に精神的には「針のむしろ」のような状態に追い込まれていきました。
何故なら役員になるということは取締会案件に対して、賛否を明らかにする必要があったからです。役員就任前までは公然と賛否を明らかにする必要はありませんでした。

役員になってからも、心では「反対」と思う事は少なくはありませんでしたが、実害がさほどないと考える場合は「賛成」することにしていました。
取締役とはいえ、実態はサラリーマンです。上司である社長に嫌われては立つ瀬がありません。

創業者はカリスマ経営者でしたが、その当時から役員会は社長の意向に沿う決議がなされる傾向があったと思います。それが息子さんの代になってますます強くなったのでしょう。社長の意見に取締役が面と向かって反対を唱えることは先ずありませんでした。

とはいえ、実害が大きいと思う案件も何回かに一つや二つ出てきます。
そんな時、「反対」を言える自分であろう、という努力をしていました。

例えば、100億円ほどの金額であったと記憶していますが、海外事業の買収の提案が取締役会に上程されました。
私はハッキリ反対でした。うまくいくとはとても思わなかったからです。私なりに社長との関係に配慮しながら、「反対」の論陣を張りました。決議は翌月に持ち越されました。

翌月の役員会の前に先輩役員から呼び出しを受けました。行ってみると、その案件の話です。曰く「反対するつもりだろうが、これに反対されたら困る。社長が是非やりたいという案件だ。全員一致で賛成にしたい」という事でした。私には「一人だけ、イイかっこするな」と聞こえました。

そこで役員会ではやむを得ず、「起案の金額(100億円)では賛成できないが、資産価値などから買収金額が半分以下であれば反対しない」と条件を付けて、条件付きの賛成という形に収まりました。結果、起案の金額で買収が決まったことに暗澹たる気持ちになったことは言うまでもありません。

このようなことを繰り返しているうちに、私のストレスは益々深刻なものになってきました。

山本印店での桃仙先生との出会い
そのころです。前回のブログでも紹介したホテルでの一件を「妖怪との遭遇」と見抜いた霊覚のある知人から「はんこ」を作ることを薦められていました。
彼が曰く「運気を向上させる開運印」とのことでした。彼のことは信頼していましたが、はんこにそのような力があるとは思っていませんでしたから、なかなかその気になりませんでした。

しかし、社内での孤立感や二代目社長との人間関係にいい加減疲れていた私は「溺れる者は藁(わら)をも掴む(つかむ)」の心境で、そのはんこを作ってみようと思うようになりました。

そして、これがその後の私の人生観を変える出会いとなり、今日のテーマである守護の神霊の働きを一層実感する機会にもなったのですが、そのはんこ屋さんが「山本印店」です。

山本印店は有名なはんこ屋さんです。ネットで検索するとそこでハンコを作った人の体験が沢山出てきます。

私の体験は少し生々しい話ですが、今回のテーマの守護の神霊の存在について書くには避けることのできない話ですから、山本印店での話を書く事にします。

山本印店 最初の訪問
山本印店への最初の訪問は空振りに終わりました。知人から場所を教えて貰って、訪問したのですが、教えて貰った「長い行列が出来ているのですぐわかる」という「行列」がありません。

それと思しきはんこ屋さんはあるので、尋ねてみると、「あまりに沢山人が押し寄せて、収拾がつかなくなったので、予約制にした」という事です。
予約は行きたい日の前日の12時からスタートする事を聞き、後日改めて予約の電話をかけてみました。しかし話し中でまったく繋がりません。何度も電話してようやく繋がったと思ったら、既に翌日の予約は一杯で、改めて予約を、と言われました。

そこで、今度は一家総出で電話したところ、幸い予約を取ることが出来、約束の時間に家内と訪れることになりました。家内と一緒に行ったのは、紹介してくれた知人に勧められたからです。
行ってみると、相談中の方が既に二組いらっしゃり、狭い店内に入れません。そこでしばらく店外で待たされました。一組が出てこられ、ようやく店内に入ります。

指示されて、生年月日、氏名をメモ用紙に記入しながら、待ちます。目の前では店主の桃仙先生がお客の相談に答えています。
そこでは、先生の「あなたこうでしょう」などという言葉に対し、「えェー、なんでそんなこと判るんです!!」といったやり取りがされていました。

それを見ながら、「これは本物(の霊能者)のようだ」と内心、ドキドキしたものです。
そして私たちの順番になりました。先生の前に座り、使っている「はんこ」と氏名などを書いたメモを差し出します。

先生は先ず私のそれを見て、このように言われました。
「あなたははんこを作る必要ないな」「あなたは行くべきところが決まっている人だ」「今使っているはんこもいいはんこだよ」

それから家内のはんことメモを見て、このようにおっしゃいました。
あなたのご先祖様が、この人のところにあなたを連れて行ってくれたんだよ。この人は立派な人だよ。自分のない人だ。家族のことと会社のことばかり考えている。」「相性もいいね。ご先祖様が選んだ人だからね。」

更に家内に語りかけます。
「奥さんの実家、大変だね。跡取りがいないね。」「子供さんはいるの?」「子供さんの名前と生年月日をここに書いてごらん」
そこでメモに子供の生年月日を書
いて渡すと一言
「真ん中の男の子ね。この子が奥さんの実家を継ぐ子だよ。」
「子供たちは皆良い子だね。ちゃんと跡取りになるね」

家内の実家についての指摘はまさに図星でした。家内の実家にも子供が3人いましたが、事情があって、家を継げない状況にありました。それを言われたので、「この先生は本物だ」という思いを深めることになりました。

15分ほどこのようなやり取りがあったでしょうか、次の人も待っています。先生は私に「どうする?あなたははんこ作る必要ないんだけれど」と言われます。
私は15分とはいえ、良いアドバイスが頂けたので、このまま帰るわけにもいかない、と思い、「先生、良ければはんこを作ってください」とお願いしました。

そのはんこを今も使っていますが、その時のアドバイス「あなたは行くべきところが決まっている」に私は安心しました。紆余曲折はあっても心配はいらないんだな、と受け止めることが出来たからです。そして、明るい気持ちになって山本印店を後にしました。

状況は一層深刻に
しかし、その後の状況は芳しくありません。孤立感は弱まることはありませんでした。また二代目社長との関係のぎくしゃくし感も強くなりました。
社長のやることに不信や不満が募るばかりです。
「まるで裸の王様だ」という思いも強くなりましたが、なんとか社長との関係や経営の方向を修復、修正しようと私なりに努力をしました。
しかし、その努力が却って社長の私への不信感を助長させたのでしょう。
ある日、社長から役員の退任を言い渡されることになります。

その日、社長からはこのような話がありました。
「次回の株主総会で退任して貰いたい。次世代の体制作りで新たな取締役を増やすための処置だ。君には教育事業を行うために新設する子会社の社長になってもらう。自分もそう遅くない時期に社長を辞めるつもりだ。その後はライフワークとして教育の仕事をしたい。その時の受け皿を君に作っておいてほしい。」

私にはそのような予感がありましたから、「やはりそうか」とは思いましたが、ショックは小さくありませんでした。「考え直してもらえませんか」と聞いたのは、「もし自分が取締役会を去ったら、会社はどうなるのか」という自負もありましたが、大きかったのは、取締役をやめることへの失望感であったと思います。
社長からは「将来はその新会社で自分を支えてほしい」という言葉がありましたが、大きな失意、喪失感はぬぐえませんでした。

そんな失意のドン底にあった時に、思いついたのが「もう一度、桃仙先生に相談しよう。新会社のはんこは山本印店で作ってもらおう」という事でした。
そして二度目の山本印店への訪問になります。

山本印店 二度目の訪問
新会社の名前は決まっていました。その会社の名前をメモにして、「今度会社を立ち上げることになったので、この社名の社印を作ってほしいのです」と桃仙先生に差し出しました。
先生はそのメモの見ながら、このようにおっしゃいました。

「この会社のはんこは作ってもしようがないね。」「この会社はあなたの会社じゃないでしょう。」「親会社ががんじがらめにしているからね」「だから作る必要なし」

先生の眼力に驚きながらも、がっかりした様子の私を心配してくれたのでしょう。
桃仙先生は「どういうことだい?」と聞いてくださいました。
そこで私は、全国的に知られた会社の役員をしていること、色々あって次の株主総会で退任すること、新会社は退任後に社長に就任する予定の会社であることを説明しました。

先生が社名を聞かれましたので、私は正直に社名を明かしました。先生は少し驚かれて、「大きな会社じゃない。あなたそこの役員なの?偉いんだね。」「でもね、たとえ寒いところに行っても、○○が売れるからね。そう心配するものでもないよ。」と言われました。
○○とは寒冷地でよく売れる商品でした。

私は「???」です。その後も何度か「寒いところでも○○は売れる」という事をおっしゃいます。私は不思議に思い、「先生、その○○というのは何のことです」と聞いたところ、「あれ、寒いところの会社に行くんじゃないの」と言われます。

私の落ち込んだ様子や会社のイメージから、北海道や東北の販売会社に左遷される、というように思われたようでした。そこで「先生、違います。北海道や東北に行くわけじゃないんです。」と言ったところ、先生はメモを見ながら、「じゃぁ、これは何の会社なの?」と聞かれました。私は「教育やコンサルティングの会社」です、と答えました。

先生は「あなたはそのために生まれてきたような人だよ。天職だ。会社はあなたをよく見てるじゃない。」と言ってくださいましたが、私の気持ちは一向に晴れません。その様子を見て、先生はこのようにおっしゃいました。

あなたはね、自分が悪い方へ悪い方へ運ばれているように思っているね。でもね、そうじゃないんだよ。あなたのね、母方のご先祖様があなたを守っているよ。この人はね、本当に立派な偉い方だよ。そのご先祖様がね、あなたを安全な方へ安全な方へ連れて行ってくれているんだよ。母方のお墓にお参りしているかい?場所を知らない?駄目じゃない。キチンとお参りするんだよ。

あなたが会社で孤立するのは仕方がないんだ。あなたは唯一正しい事を言っているんだよ。一人正しい事を言うから孤立するんだ。あなたはね、大久保彦左衛門みたいな人だ。社長もあなたが煙たいんだよ。また社長のそばに女性がいるね。その女性が社長とあなたの間を裂こうとしている。でもね、それもあなたにとっては良い事なんだ。あなたはね、このまま役員でいたら、体を壊してしまうよ、そうならないようにご先祖様があなたを守ってくれているんだ。だから心配することは全くない。

大久保彦左衛門のくだりには、「なるほど」と思いましたが、ご先祖が守ってくださっているという話には思い通りにいかない現実を前に私ピンときませんでした。その様子を察したのか、先生はさらに続けます。

2年以内かな、今の話の意味が分かるよ、(私の生年月日を書いたメモを見ながら)、2年はかからないな、今日から二度目の誕生日の前、それまでにあなたにはわかる。あなたの会社にはね、近いうちに大きな問題が起こる。外資との問題だよ。そのときにね、あなたが責任あ
立場にいると、本当にあなたが体を壊すようなことになるんだ、今はわからなくとも、それが判るまで頑張ればいいよ。いずれ分かるよ。

すでに次の相談者が待っています。20分ほどのやり取りがあったでしょうか、目的の社印は作ってもらえませんでした。そして、相談へのお礼をおき、釈然としないまま、山本印店を後にすることになりました。

その後、失意の底に落ち込んだ私は体を壊しましたが、甲田先生のおかげで回復することが出来ました。そして、新会社の社長業務に取り組む事になります。
桃仙先生に「天職だよ」とおっしゃっていただいたように、仕事を始めるとそれなりの充実感を持って仕事に取り組めるようにもなりました。

そしてこの相談から2度目の誕生日を迎える前のことです。桃仙先生の言われた外資との問題が起こります。その結果、創業者の子息、二代目社長は退任を余儀なくされることになりました。

このことは守護の神霊の守りを改めて実感し、確信する機会になったのは言うまでもありません。
母方の墓参りに心がけるようになったのは勿論、日常的にも一層心を込めて、守護の神霊への感謝を行えるようになりました。

長くなりましたので、この続きは次回にしたいと思います。

続きと関連記事

(写真は桃仙先生のエッセーの表紙です。)

参考記事

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独学で極める至高体験

幸せの真理に辿り着きはじめた、覚醒者のたむです。

覚醒したので毎日が喜楽で超幸せです。

とても満たされて充実した毎日です。

このブログの趣旨ですが、『幸せに生きる』ということをテーマにしています。

幸せに生きる為に様々な経験をして『幸せに生きることの本質に覚醒した』たむの智慧を紹介しています。

たむの智慧は、『ライフ&ソウルヒーリング』という形で、方法論を確立しています。

実体験に基づいているので効果的・現実的です。

前回のブログは人生に答えはないでした。

人生の質を良くするためのHOW TO本はいっぱいありますが、それは人生を良くするための方法論であり答えではありません。

人は今世で予定してきた課題があります。

ですから、持って生まれて来たものが違います。

その為、幸せの形は人それぞれ、型にはまった答えなんてありません。

ちなみに、持って生まれて来たものを宿命と言います。

ただ、全人類に共通している宿命があります。

それは、脳内物質による心身の反応が変わるというものです。

そして、それが人生の応え(こたえ)になることも全人類共通の宿命となります。

この応えというのは、自分の体験に対する心身の反応という意味になります。

つまり、体験に対する心身の反応の積み重ねが、自分の人生に対する自分で出した応えということになります。

人の為に何かをするのも、自分への応えを得る為です。

自分の為に何かするのも、自分への応えを得る為です。

何もしない選択も、自分への応えを得る為です。

応えとは反応のことです。

反応とは脳が出す脳内物質(脳内麻薬)のことです。

人は脳内物質(脳内麻薬)という応え(ご褒美)の為に生きているのです。

そして、脳内物質の中でも幸福感を得られるものをたくさん必要としています。

この幸福系脳内物質の量と質がある状態に達した時、至高・至福体験をすることがあります。

心は澄み切ったような状態になり、即ち悟りを開いたかのような状態になる場合もあります。

このような状態になった時、潜在能力が解放されることがあり、神秘体験をする場合もあります。

いずれも人生を一変するような、生まれ変わったような感覚になる体験です。

その後の生き方に大きな影響を与える場合が多くあります。

人が生きる大きな理由のひとつとして、この究極のご褒美を得ることがあります。

そして究極のご褒美とは、自分の脳内から出る脳内物質です。

自分の外側には存在しません。

究極のご褒美までいかなくても、自分の中から良い応えが毎日多く出てくるようになれば、今世のノルマを多く解放できる状態となるので、かなり幸せな人生となります。

また、来世から新たなステップに進むことができるようになっています。

自分の応え方というのは、過去世からの魂の記憶、今世の記憶、全人類の記憶(集合意識・アカシックレコード)という数種類の記憶からできています。

ですから、不快反応をする記憶(カルマ)が多いと、何事にも不快な応え方をしやすい世界で生きることになってしまいます。

人は過去世からの魂の記憶により、生まれる場所と性別を選びます。

過去世からの魂の記憶により個性も備わっています。

今世に大きな影響を与えるのは選んだ国、家系、性別です。

それと選んだ国という集合体の記憶、家系の記憶(家族連鎖)、親の記憶となります。

いわゆる機能不全家族に生まれてしまい、ある年齢まで毒家族・毒親の悪影響下で生きることを余儀なくされる場合があります。

受け入れ難いことですが、生まれる場所・家系・性別は、生まれる前の自分が考えて決めたことです。

今世でカルマを解放し魂を成長させるための修業の場として選んだのです。

でも、ちょっと間違っちゃったかな~^^; という場合もあるようです。

この場合かなり辛いのですが、自分の中の応えを変えることで人生を変えることができます。

一人で悩まないで、たむにご相談下さいね。

生まれ育った環境や性別は自分で決めた初期設定(宿命)となります。

初期設定は人それぞれ全く違うし、カルマ解放のための課題も全く違います。

ですから、何をすれば幸せを感じるかは人それぞれです。

幸せを感じるのは幸福系脳内物質が分泌された時です。

カルマを解放するほど、幸福系脳内物質は素早くたくさん分泌されるようになります。

また、至高体験に繋がる上質の脳内物質も出やすくなって行きます。

幸福系脳内物質が出やすくなるほど、自分の能力(脳力)が解放されるような状態になり、その後の人生に幸せな影響を与えます。

頑張ってたくさんご褒美をもらった方が、より人生は良くなって行くということです。

ですから、自分が日々生きている世界で体験していることに対して、快反応をたくさんすることが幸せへの答えだと言えます。

その為に、幸福系脳内物質を多く出せるように、反応の仕方を変えることが大切になります。

また、快反応をしやすい環境に移動することも大切です。

不快な人生から流れを変える為には、自分の応え方を変えることと、良い応え方をしている環境に身を置くこととなります。

自分の反応=応え方というのは、頭で考えても簡単には変わりません。

今まで嫌いだったものを好きになること、離れたいけど離れられない人やものから離れること。

どちらも理性で分かっていても、なかなかできることではありませんよね。

嫌いだったものには不快系脳内物資がドバドバ出ます。

脳内物質は麻薬の数百倍の効果があります。

理性で脳内物質の反応を覆すには、強靭な意志が必要になります。

条件反射の生理現象を変える訳ですから。

今まで依存していた人やものから離れることも、脳内物質の影響で簡単にできない場合があります。

これは思い出や情ではなく、脳内物質(脳内麻薬)の影響で離れることができないのです。

思い出や情は、脳内麻薬がつくり上げた幻想です。

恋愛で例えると分かりやすいですね。

好きになった相手がモラハラ・DV人だったとしても、最初はお互い良いところを見せるので未来への期待値が高まります。

特に女性は様々な幸福系脳内物質がドバドバ出るので、もの凄い幸福感を得られます。

また女性ホルモンも多く出て、美容と健康にも良い影響が出ます。

女性が恋に生きるのはこうした脳内物質の影響によるものです。

好きになった男=幸福系脳内物質という反応(自分の中の応え)が出るので、だんだん関係がおかしくなってきても、

幸福系脳内物質というご褒美をくれる人という反応の方が強くなっており、幸福系脳内物質の方が多く出てしまいます。

また、期待感を強めることで自分を誤魔化してしまい、幸福系脳内物質の方が多くを出せることが女性にはよくあります。

その為、ダメ男から離れられない状態が長期化します。

また、モラハラ・DVアタックによって出てしまう、不快系脳内物質への依存も悪影響を及ぼします。

不快系脳内物質も脳内麻薬なので依存性があります。

幸福系と不快系の脳内物質を交互に出す頻度が多くなると、性質の違う脳内物質に依存することになります。

ダメ男から離れられない負のループの出来上がりです。

何度も同じことを言いますが、自分を変える・人生を変えるということは、自分の中の応えを変えなければいけません。

自分の中の応えとは、脳内物質の分泌に関する反応プロセスのことです。

人は自分の脳から出ている脳内物質に依存しており、思考も行動も脳内物質に支配されています。

脳内物質の分泌におけるプロセスに異常があれば、不快反応をしてしまいます。

状況・環境が変わり、脳内物質の分泌の仕方を変えないといけない場合があります。

こうしたことを、他人や何かにやってもらえると思っている人は、自分の頭の中に手を突っ込んで脳の回路を繋ぎ変えて下さいと言っているようなものです。

即ち殺して下さいと言っているようなものです。

人や何かに依存した人生、人や何か任せの人生は、自分の中の応え変えることができません。

また、応えを人や何か任せにすることになり、人や何かに命を預けることになります。

それで幸福系脳内物質がドバドバ出て毎日が無条件に幸せならその生き方を続ければ良いでしょう。

でも、そんなことはなかなかありません。

自分で幸せな人生をつくりたい人、自分で生き辛さを解放したい人には、ヒーリングサロン多夢が結果へ導きます。

ヒーリングサロン多夢は、確実に幸せなれる基礎をつくれる場所です。

最後までお読み下さり、ありがとうございます。

皆様の幸せと健康と繁栄を心よりお祈り
ております。


至高体験 関連ツイート

違う文化圏に住む多くの人が至高体験で何が起こったかを話してくれましたが、彼らは文化も宗教も霊性も異なるにもかかわらず、そこから2つの面が明らかになりました。それは「意識の変容」と「逆説的」という2つのことでした。
痛む事によって胃や腸の存在を確認できる至高なる体験「腹痛」!
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あのニート期間の創ることに集中できた時間は本当に至高の一時過ぎた…
あんなもの体験したら壊れてしまうよ

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