咄嗟から始めよう
担当医の先生から、なつみが急変した時にどうする?のおはなしがありました。
今回は心臓関係にトラブルがあったとき、具体的には心拍が下がって救命措置が必要なときがあったら、どの程度まで処置をするのか。
ざっくり言うと
緊急時にお薬のアドレナリンを使うのか、
心臓マッサージもするのか。
という点についてでした。
幸い、なつみは安定してるので今すぐどうこうなるような心臓の心配はないです。
でもだからこそ、いま話しておくべきこと。
何かある前に自分たちで納得いくまでしっかり考えておくこととは大切、で。
病院側としても、わたしたち親の意思はスタッフみなさんの共通認識として情報共有しておきたい、とのことでした。
なお、本来は呼吸についても挿管するかどうかなどの話はあるようなのだけど、なつみはもうすでに呼吸器をつないでるので呼吸関係の事前確認はナシ。
急変したとき。
どこまで処置をするのか?
どこまでなつみにがんばってもらうのか?
心拍が戻らないときでも、わたしたちの到着までは無理やりにでも持たせるのか?
自分たちが人のいのちの線引きをするなんて、幕引きのタイミングを決めるなんて、そんなことしていいのか。
どこまでやるか。
なつみにとって、どうするべきか。
もしもの時なんて来なければいい。
もしもの時の想像がうまくできないし、まだ答えは出せなくて…。
しばらくふたりで考えてから、しっかり意志を伝え
うと思います。
1秒を争う緊急時、病院から親へ電話で確認するのでは私たちも咄嗟の判断になってしまうし、
電話では話の行き違いや認識違いがあるかもしれない。
トラブルにならないようにするのはもちろん大事なのだけど、それに加えて
わたしたちが後悔したりしないよう納得できるよう、
すごくすごく時間をかけて丁寧に説明していただきました。
いつもありがとう、先生。
もしもの時、先生はやれることを知ってて、やれる技術もあるのに
もしも親が何ら延命処置を望まなかったら、先生や看護師さんたちは見てるしかないんだなぁ、と
話を聞きながら想像してました。
それって、どんな気持ちなんだろう。
救えるのに救えないって、どんな気持ちなんだろう。
もっとできるのに、もしかしたら救えるのかもしれないときに
ここまでって区切るのって、どんな気持ちなんだろう。
こういうことを考えると、わたしの産前の仕事とかって一体なんだったんだろうって思います。
世の中にあってもなくてもいい仕事だったなー。
↑
我が子に教えたい咄嗟
来週はカイジが休載ターンのため、
小ネタも含めて雑記的更新です。
PSカイジ、PS2アカギ、PSアカギと順に攻略し、今回はPS2天をプレイします。
取り敢えず、私が攻略を予定していた作品は以上の4つなので、ひとまず今回のシリーズが最後の実況動画となります。
天はいわずもがな、福本先生が大きく飛躍するきっかけとなった出世作にして代表作。
作風の変遷も顕著に表れていますし、何よりも赤木しげるを語るには欠かせませんね。技術の未熟さを熱意でカバーしたいところ。
1パートは短めで20分前後、カットも少なめで毎日投稿の予定です。
9/26までに攻略が間に合うのか・・・スケジュールと雀力、両面で不安です汗
また、天については10月からはドラマが放送開始されますね。
・撮影は8/29にオールアップ済み。
#ドラマ #天 #天和通りの快男児 クランクアップしましたー!10月から放送始まります!お楽しみに! #福本伸行 #岸谷五朗 #古川雄輝 #吉田栄作 #テレビ東京 #銀と金 #アカギ #ざわざわ https://t.co/Uho02AuqDT
予告動画も公開され、いよいよ間近に迫ってきました。
吉田栄作さんのオールアップ。「赤木しげる」というキャラクターは様々な人が様々なイメージを持つとても深く、そして難しい役だったと思います。赤木役は吉田さんだ!そう思ったキャスティング時の気持は最後まで変わらず。ありがとうございました… https://t.co/ZkNgGd0QbC
素晴らしいスリーショット!
撮影を終え、お三方とも佇まいからそれぞれのキャラクターが滲み出ていますね。
期待値はもちろんストップ高状態。
個人的には、現在進行中とはいえトネガワとゼロの映像化についてはやや不完全燃焼感があるので・・・
前述のように福本作品の礎であり、聖典にも近い天については120点のクオリティを叩き出すことを願っています。
・先週のドラマゼロには福本先生がカメオ出演されていましたね。
小太郎役の手越さんを捕える黒服として登場!
さらに、零に完敗した小太郎がギャラについて請求書の宛て名を尋ねると・・・
サングラスを外して一言!
名乗っちゃったよw( ゚∀゚; )
原作ファンには大サービス、しかし他の方はポカンとした事でしょうね。
ある時は帝愛の黒服、数年後に地下堕ち、カイジによって地上へ解放。
その後はプロの代打ちとして市川と死闘を繰り広げていましたが、敗北。
その結果、今度は在全の下に就いていたとは・・・!
フィクション内での福本先生は激動の人生を歩んでいますね(;^ω^)
しかし相変わらず俳優さながらの渋カッコよさ。
神域の棒読みも健在でした。
確か・・・映画カイジ2での「肉、食べてよーし!」は、本番で台詞をど忘れしてしまい、咄嗟に出た言葉だったはず。
そのまま採用されたあたり、元の脚本を上回るセンスだったのでしょう。確かにインパクトがあり印象に残りましたから、皮肉ではなく流石ですよね。
そして零についてはドラマを期に、原作の第3部開始が早まると嬉しいな。
標の負傷理由、そして強力な後ろ盾を得た零の次なるステージ・・・見どころも疑問も残ったままですから、未完の可能性は考えたくありませんね。
・ついでに完全なる小ネタ。
ひと月ほど前、暇を持て余していた時に作成しました。
カイジいろは歌
本家いろは歌の47音+「ん」を1回ずつすべて用いて、
カイジに絡めた文章を作ってみました。
(本家同様、濁点と半濁点は許容というルールです)
かいじ むりと ゐうな!
ゆえに ふねへ のれゑ!
みらあで ほお きずつけ、
めもは ぴんぞろ やくだち、
ぬま をこわさせるよ。
色々と力技ですが、私にはこれが精いっぱいでした。
ではまた(。・ω・)ノ゙
おまえらwwwwいますぐ咄嗟見てみろwwwww
ではなんて呼ぶんですか?
人生に必要な知恵は全て咄嗟で学んだ
このブログが3月に本格的に始まってから、
すっかり神社まみれな私。
今日も今日とて、
神社を巡る。
果たして、
その場所は…?
関西有数の
パワースポットと呼ばれている、
奈良県は十津川村の、
『玉置神社』。
山の上に鎮座するこの神社は、
そのアクセスの困難さから、
(大阪から車で片道4時間以上!!)
一説では、
『呼ばれた人しか、行けない神社』
とも言われている。
あ「まぁ長距離運転は慣れたとはいえ、
それにしても遠いっすね」
ス「まぁ、せやな(笑)
ただよく言われることやけど、
やっぱり人が中々行き難い場所というのは、
神々の純度も高まりやすいからな」
あ「純度?」
ス「まぁ要は、
『空気の綺麗さ』やわな。
やっぱり観光地化したり、
人が溢れるようになると、
その場の空気の中に、
様々な人の念が入ってくるから。
自然由来が多い日本の神々からすると、
やっぱりそっちの方が、
不自然な状態やからな」
あ「なるほどね~~」
そんなこんなを言いながら、
到着した、こちら玉置神社。
ス「主祭神は、
『クニノトコタチノカミ』。
古事記で言うと、
造化三神の後の神さまやわな」
あ「あの現れてから、すぐ消えたっていう?」
ス「そうそう」
あ「お知り合い?」
ス「知り合えるか(笑)
前も一回言ったことあるけど、
アマテラスを始めとする、
『天つ神(あまつかみ=天の神)』がいて、
その上にはさらに、
造化三神を始めとした、
『別天つ神』(ことあまつかみ)がいる。
この『別天つ神』は、
俺たちですら姿は見えない」
あ「マジ?」
ス「マジ」
あ「じゃあその『別天つ神』さんは、どこにいるの?」
ス「宇宙…とは言われてるな」
あ「はえーーー。
何かスケールが大きいね~。
ちなみにじゃあ、
ここの主祭神の『クニノトコタチノカミ』さんは、
何の神さまになるわけ?」
ス「表記にもよるけど、
『国底立尊』。
要は『国の底=大地』、
この世に大地が生まれた時の神と言われてるな」
あ「それはまた壮大な…」
そうして僕らは鳥居を潜り、
境内へ。
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nbsp;
ス「まぁ何でもええねんけどさ…。
相変わらずお前は、
日本の神のブログを書いてて…」
あ「?」
ス「何で懲りずに、またアメリカやねん」
ス「まぁ良く言えば、
お前の中で無意識にバランス取ってるんかもせ-へんから、
ええとは思うけど(笑)」
あ「そ、そうなんですかね(笑)
朝早かったんで、
急いで選んだ服でしたけど(笑)」
ス「あくまで良く言えば、やぞ(笑)
いつも言ってるみたいに、
神さま事に悪い方向でのめり込み過ぎると、
まず見た目から変わり始めるからな」
あ「和服着て、
全身パワーストーンじゃらじゃら、
頭に輪っか、
勾玉じゃらじゃらとか?」
ス「まぁそういうことやわな。
どんどん世間から離れていく。
それは決して良いことではない」
そんな無駄話をしながらも、
僕らは本殿で参拝。
(二礼二拍手一礼)
あ「別天つ神さん…出てくれるわけ…ないですよね…」
ス「…お前次第や」
あ「そうなんですか?」
ス「確かに俺たち神々ですら、
姿は見ることは出来ない。
ただ俺を通して、
声を聞こうと思えばできる。
古事記の中でもオオクニヌシが、
別天つ神である『タカミムスヒノカミ』と、
話してるからな」
あ「お声を聞くために…僕は何をすれば…?」
ス「それは、お前の精神性次第。
前、造化三神を祀っている東京大神宮に行った時は、
そのレベルにすら全く達していなかった。
今回『日本の神を巡る旅』を終えて、
お前がどう変わってるかや」
あ「そう言われると緊張しまっせ」
ス「基本的に俺がお前に届ける言葉や知識も、
すべてお前の人間的成長によると思え。
そういう意味での、
お前の精神性が高ければ高いほど、
より高いレベルのことも教えてあげられるし、
見える世界も広げてあげられる。
けどもし、
お前が低いレベルで満足するようなら、
その程度のことしか教えられないし、
その程度の世界しか見せてやれない」
あ「…それは、僕というフィルターを通しているから?」
ス「そういうことや。
まぁとにかく『クニノトコタチ』が、
言葉を聞かせるために、
出て来てくれるかどうかも、
お前次第。
緊張しながら待っとけ」
あ「…はい…(ドキドキ)」
…。
……。
………。
…………。
ス「良かったな」
あ「?」
ス「出て来てくれるみ
いやで」
あ「マジ?」
スサノオのその言葉を合図に、
さっきの晴れていた空気から一変、
玉置神社の境内に、
見る見るうちに霧が溢れ出した。
(本当に)
こ、こんなことってあるんですか!?」
ス「黙って見とけ。
人の尺度と神の尺度を一緒にするな」
…すると、
本当にあっという間に、
玉置神社すべてが霧に包まれた。
僕が呆然としていたその時、
立ち込める霧の中から、
深く、重厚な声が聴こえてきた…。
?「…我はクニノトコタチ…。この大地を司るもの…」
ス「クニノトコタチ様。
お久しぶりです。スサノオです」
クニノトコタチ「スサノオ…?
おぉ、あのやんちゃ坊主…」
ス「恐縮です」
クニノトコタチ「して…、今日は何の用だ?」
ス「いえ、ただのご挨拶でございます。
この日本でも有数の地に鎮まる、
あなたの魂に少しでも触れたかった。
この横にいる人間とともに」
スサノオさんが突然、
僕の方に話を振ると、
見えないながらも確かに、
こちらに『何か』の意識が向いたのが分かった。
…そして…?
クニノトコタチ「…なんで…アメリカ…?」
ス「お前、別天つ神にも服装突っ込まれるって(笑)
いつも思うけど、
お前のフィルターどないなってんねん(笑)」
あ「…もうヤダ…」
クニノトコタチ「用がないのであれば、去ろう。
この地を存分に楽しんで行けばいい…」
そうして気配が去っていきそうになった、
その時…?
ス「お前ダメもとで、
何か聞いてみぃ」
あ「え!?そんな、マジ!?」
ス「何でもいいから聞いてみろ。
ダメもとや」
あ「え!?えーと、えっと!
あ、あの…!?」
クニノトコタチ「……?」
あ「こ、この場所が『選ばれた人間』しか来れないというのは、
本当なのでしょうか!?」
咄嗟に、
僕が思いついた、
その質問について、
答えは…?
クニノトコタチ「……。
…そんなことはない…。
『選別』という概念は、
いつの時も人間が定めたものでしかない。
我々神々の、
別天つ神、天つ神、国つ神という言葉ですら、
ただの役割であり、
決して選別ではない。
神々に、そんな意識はない」
あ「そ、そうですか…。
す、すいません…変なことを聞いて…」
クニノトコタチ「きたければくるが良い。
きたくなければ、きなければ良い」
あ&ス「(着たくなければ…って、
アメリカの服のことじゃないよな…。
『ここに来るか来ないか』ってことだよな…)」
クニノトコタチ「すべては、
その人間それぞれの心持ちに応じて、
我々が、運命(さだめ)を与えるだけ。
すべては己の心次第。
そのことを忘れるな」
あ「は、はい…!
あ、ありがとうございます…!」
クニノトコタチ「この地に鎮まる神は、私だけではない。
表にばかり目を向けぬように…」
そう言って、
『別天つ神 クニノトコタチノカミ』は、
去っていった。
…。
……。
………。
…………。
あ「最後の言葉は、
どういう意味なんですかね?」
ス「さぁ、なんやろな…。
神々は俺みたいに、
みんながみんな、
どストレートに言ってくれるわけではないからな…」
あ「『この地に鎮まる神は、私だけではない』…、
『表にばかり目を向けぬように』…、
って、他の重要な神さまがいるってことですよね?」
ス「そうやろう。
恐らく昔はここの祭神やったけど、
何らかの理由で外されたとか、な」
あ「封印されていたイワナガ姫やタケミナカタさん、みたいな話ですね…」
ス「そうかもな。
ただ悪いけど俺も、
今のお前のフィルターである以上、
全部が全部を教えてあげられるわけじゃないからな」
あ「はい…。
僕がもう少し知識と経験値を付ければ、
わかる時が来るのでしょうか…」
ス「そうやとええな」
そうして僕らが帰路に付いている、
その途中のことだった。
恐らく地元の古い方だろう。
他の方をガイドしている声が聴こえてきた。
「ここにはご祭神として記されてはいませんが、
ある女神さまが祀られています。
その名は…」
『瀬織津姫』。
そして帰り道、
他にも何カ所かまわった中で、
僕らが行き着いた、今日最後の地。
『箸中古墳』。
ある女神の墓。
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)。
一説によると、
またの名を…。
『瀬織津姫』。
間違いない。
『スサノオと日本の神を巡る旅』を終えた今、
歴史の闇に葬られた女神、
『瀬織津』姫が、
次に僕らを呼んでいる。
咄嗟をおしゃれにつかいこなす人のためのサイト
『無一文でアメリカ横断!』
引き続き、自伝「ネズミはドブ川へ飛び込んだ」の無料公開です。
今回は初の海外でアメリカ無一文で横断をする章。
実はYouTubeにあがってるアメリカ横断は、カメラマンと2人での2回目のもの。
この1回目のアメリカ横断があったからこそ、あの超大作が生まれたと言っても過言ではない。
向こう見ずで、行き当たりばったりの旅が様々な波乱を巻き起こします。
≪守りたいもの≫
沢山のチャレンジをするうちに、俺は、トークライブなどのイベントやラジオに出演させてもらったりと、自分の経験談を語る場を与えてもらえるようになった。
そのおかげで、出会いも広がり、自分の想いに共感してくれる仲間も増えた。
なにより、これから夢を追う人達の背中を押してあげれたことが嬉しかった。
そして、お店にはチャレンジの話が聞きたくて、刺激が欲しい人がたくさん来てくれるようになった。毎日、毎日お客さんに今までのストーリーを話したり、旅のイベントを主催したりした。
仲間が増えたことによって、日本中どこへ行っても、そこには、だいたい仲間や仲間の友達が居て、俺は支えられていた。でも、俺にはある迷いが生じていた。
安定した地盤の中、保守的になっていないだろうか。チャレンジ精神を忘れていないだろうか。自分の昔話を自慢げに話し、淡々とBARを営業し、自分の武勇伝を語る中年のおっさんのように感じた。
「お前は自分の道を突き進め。俺はもう何も言わん!」
初めは僕のやることやることに大反対だった頑固な父親も今では1番の応援者になってくれていた。
すべてが自分の存在を、反骨精神を認めてくれていた。
僕の好奇心だけが自分自身の身体から独立して、ふわふわと仲間一人もいない未開拓の地へと飛んでいく。
しかし、BARに佇む僕は好奇心と共に行動していたかつての面影はなかった。
変化し成長していく人生の中で、少し前まで渇望していたものが、いつのまにか、自分を縛りつけている。やりたいと始めたことがいつの間にか自分の中で義務になってしまった経験はないだろうか。それが俺にとって、望んで、望んでやまなかったBARだった。
それを仲間に打ち明けた。
仲間は言った。皆に刺激を与えて欲しい。動かないジョーなんてジョーじゃない。
その言葉で俺は本当の自分に気が付いた。思い出や現在のポジションにしがみつくことなく、どんどん自分を脱皮し、新しい事にゼロからチャレンジしていく。それが自分なんだと。
そう思うと同時に仲間をまだまだ信用していなかった自分にも気付いた。仲間を支えたいのではなくて、仲間に嫌われたくなかった。
そんな思いと裏腹に仲間は、俺がどこへ行こうと本気で応援してくれた。
俺がしたいことにチャレンジしている姿が最も似合っていると言ってくれた。
好奇心の向く方向、アメリカへ行こう。
そう決めた。初海外。英語も話せない。当然、友達も居ない。そんなゼロの状態で俺は何ができるのだろう。どこまでも広大で沢山の人種が入り混じり、エンターテインメントに富んだ世界一の国、アメリカ。そこで俺はどんなアメリカンドリームを描くのだろう。
守ってくれる物が何もない環境で、俺は仲間の大切さを再確認したい。仲間の大切さを知り、一人で壁にぶつかるからこそ、仲間と支え合い、刺激しあえることができる。
アメリカ大陸を横断することに決めた俺は、不自由なくそこで生活できるようにお金を貯めていた。しかし、出発日が近づくにつれて、全てゼロからチャレンジしたいと思うようになり、それを全て、ある夢を追う仲間のために使った。
いつでも苦しい時は、遠く離れた空の下に居る仲間を思い出せるために。
それは、アメリカ横断をゼロ円で決行することを意味していた。
≪出国≫
2012年11月5日。俺は、沢山の仲間と共に関西空港にいた。忍者のアニメ「ナルト」のコスチュームと今では旅の必需品になったスケートボードをカバンに詰め込んだ。ナルトのコスチュームは、路上でお金を稼ぐため。聞くところによると、アメリカでナルトが大流行しているらしい。そして、スケートボードはチャリの速さで進め、トラックに捕まれば車並みのスピードを出す。どちらも旅の必需品になるだろう。
出発の1時間前、空港には沢山の仲間が集まり、心のこもった沢山のお守りや手紙、道具を貰った。
俺は一人じゃない。
みんなが俺の背中を押してくれた。
感謝の言葉を伝えようとすると、ボロボロ涙がこぼれた。こんなに、人前で泣いたのは、始めてかも知れない。「みんな本当にありがとう。俺は、幸せや。行ってきます!」
手紙を強く握りしめ、めいっぱい叫び、搭乗ゲートをくぐった。次、皆と会うときは、アメリカを横断した後になるだろう。
そして、目を腫らしたまま飛行機へ乗った。慣れない機内食を食べて、寝て、食べて、寝た。隣には、ケニア人のおじさんが座っていた。白ワインをCAに頼んでいる。俺もおじさんの真似をして頼んでみた。すると、CAは、俺にビールを差し出した。切れの悪い、慣れない英語でお礼を言った。
14時間程の永い飛行機旅は、俺をあの頃の気持ちにさせていた。単身修行で乗り込んだ沖縄である。あれから三年経った今でも、あの頃と何ら変わらない期待と不安でいっぱいだった。飛行機は息を吐く間もなくロサンゼルスに到着した。
そして、英語のできない俺に立ちはだかる魔のポイント「入国審査」が始まった。日本の仲間から教わった通りに友達に会いに来て一緒に観光をすると伝えた。あらかじめ控えてあった泊まるつもりもないロスのユースホステルの住所も見せ、
滞在期間も教わった通りに答えた。ここまでは、スムーズだった、が、次の審査官の一言で事態は、一変した。
審査官が帰りのチケットを俺に見せてくれと要求した。俺は帰りの航空券のコピーを渡した。ここで俺は過ちを犯した。帰りの航空券と共に、旅中に出会った人に配る予定のプロフィール用紙も重なって渡してしまった。その用紙にはお金を持たずにアメリカ横断すること、路上でナルトの格好をして、お金を稼ぐこと等、普通の観光者がしないようなクレイジーなチャレンジの数々が書かれていた。
案の定、審査官が他のスタッフを呼び、ザワザワし始めた。俺は大衆の面前で腕を取られ、別室へ連行された。部屋には日本語通訳の白人のおばあちゃんがいて、俺に質問の嵐をぶつける。不幸なことに、彼女は日本語があまり話せなく、俺の言葉を理解してくれない。「スイマセン。ニホンゴ、シャベレナクテ…」と言う始末だ。じゃあ、なんで通訳やっとんねんとツッコミをいれたい気持ちを抑えた。
このままだとマジでやばい。俺は必死のボディーランゲージでアメリカの知人に会いたいとか路上活動はしない!とか英語が喋れないなりに本気の「日本語」で伝えた。
それでも、審査官の顔は険しく、俺のプロフィール用紙を見に来る他の審査官達はフンっと鼻で笑う。強制送還、この四文字が俺の頭によぎった。心臓の鼓動がさらに速くなる。笑われることよりも、みんなの期待に応えられない方が辛い。
一時間は経っただろうか。通訳のおばあちゃんが荷物の方へ案内すると言い、手招きした。遂に、駄目か。荷物と共に日本に逆戻りか。下を向いてとぼとぼ歩いた。
そして、荷物の前に着いた時、彼女はしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにさせ口を開いた。
「イッテイイデスヨ。Have a nice trip!」
おばあちゃんが天使に見えた。
≪初めてのカルチャーショック≫
さっそく、スケボーでロスから東へ100キロ進んだ所にある街、Sanbernadinoへ向けて走り出した俺だったが、地図もお金もないため自分がどこにいるのかさえ分からない。道を聞いても分からない。相手が何を思い、何を感じているのかすら分からない。伝えたい事が伝えられない。
道で出会った全身タトゥーだらけのおっさんからなぜかサンダルを貰ったが、なぜ貰えたのか分からない。
酒を誘われたり、薬を誘われたりもしたが、何て言っているのか本当に分からない。
とりあえず、「Yeah!」と言って、その場をやり過ごす事しかできない。無知って、こんなに恐いことなのか。このままだと訳も分からず、ただ進むだけになってしまう。
季節は冬。英語も話せなくて、金もないから確実に死ぬ。アメリカへ着いて分かった情報だが、これから目指すグランドキャニオンは既に氷点下を下回り、野宿が不可能だそうだ。アメリカ中部では道路が凍結してる程らしい。
そして、アメリカの治安は、日本と比べ物にならないくらい悪い。そんな安全すぎる日本だからこそ、俺みたいなクレイジーボーイが生まれたのだろう。日本の旅と同じようにはいかないだろう。
チャレンジしてから気付く事がある。一歩踏み出したから見えた世界がある。進路変更。破天荒で無謀なチャレンジにこそ計画性が必要だ。そんなことを言いながら、いつも行く前に計画を立てない。行ってから、1歩を踏み出してから、その場で計画する。
俺はロスへ引き返し、お金を稼ぐことにした。向かった先は、ロスのダウンタウンにある日本人街「リトル東京」を目指した。沢山あるジャパニーズレストランに片端から入り、I have no money! I want to work!」を連発し、飛び込みで1週間、働かせてもらえる所を探した。20軒以上、お店を回ってみたが、住む所もなく、就労ビザもなく、長期で働くこともできない俺を置いてくれる店は1軒もなかった。
そんな中、とある寿司屋の日本人のマスターが「雇う事は、できないけど、晩飯なら奢ったる」と言ってくれ、海鮮丼をご馳走してくれた。そのマスターも若い頃にバスでアメリカ横断の旅をしたみたいだ。本当に親切でカルチャーショックを受けていた俺に勇気をくれた。
ご飯を食べた後、近くの公園のベンチの上で寝袋を被って野宿をする。寝ている間、終始、イカレタ奴らが奇声を発し、近づいてくる。そんな奴らには言葉も通じない。
中でも薬らしき物を紙コップに入れた黒人の女が俺にそれを売りつけてくる。横になっている俺に向かって何かを言いながら、首を触ろうとしてきた。僕は咄嗟に飛び起きて、声にならない声を叫んだ。すると、その黒人はそそくさと何事も無かったように去っていった。
一瞬の出来事だった。何て言ったかは、覚えていない。ここは、日本じゃない。一瞬、一瞬、気を抜いてはいけない。恐怖と共に旅特有の高揚感を俺は全身から感じていた。
その日は決して、深くは眠れなかった
、なんとか朝を迎えた。
再び、リトル東京を歩いていると、ピストルのスペシャリストである日本人男性に出会った。彼は朝食をご馳走してくれた。俺の心は感謝で満たされた。
しかし、アメリカに来てまで日本人に助けられている自分の不甲斐なさを情けなく思った。自分が動かないと何も変わらない。俺は腹を括り、路上文化のメッカ、ベニスビーチへ向かった。
≪The California style≫
ベニスビーチのあるサンタモニカ方面へとスケボーを走らせていた。途中、カフェのテラスで座っていた60代くらいのおじさんに道を聞いた。
「Could you tell me the way to the Santa Monika?」
「お前、日本人か?」
「はい。日本人です」
「おー!俺も沖縄生まれの日本人さー。お前、飯食ったか~?」
「朝に食べ…」と俺が言い終わる前に彼は、腰を上げ、動き出していた。
「ちょっと待っとけ」
ジミーと呼ばれる彼は店の中へ入って行き、俺にダブルチーズバーガーのスペシャルセットを買ってくれた。ご馳走になりながら、彼の話を聞くと、どうやらマンションを300軒程、経営しているらしい。他にもドライビングスクールや、このカフェならぬホットドッグ屋のオーナーでもあるみたいだ。
ジミーさんと話していると、台湾の留学生の女の子が子供を連れて彼の元へやって来た。その子が何やら英語で彼と話をしている。彼は100ドル札を彼女に差し出した。
どんな展開やねん。どうやら彼女は、夫に逃げられたシングルマザーみたいでジミーさんが経済的な援助をしているらしい。
自らをミリオネアと語るジミーさんの話は、真実かどうかさだかではないが、そんなことはどうでもよくて、俺は気さくな彼が大好きだった。肩書きとかブランドとか周りからの評判で人を判断したくない。だから、俺は仲良くなりたいと思った人と仲良くなるし、それを人脈とかコネとは呼ばない。
「ジミーさん、そろそろ行くわあ。色々とありがとうございました」
ジミーさん「おう。ジョー、何かあったら連絡するんだぞ」
俺はベニスビーチへ向けて再び走り始めた。
黄金色に染まる空の下、ベニスビーチに着いた。日中とは違い、静かな波の音だけが響き渡り、穏やかな時間が流れる。俺はビーチ近くのBARの前でWi-Fiを繋いで携帯電話をいじっていた。
すると、BARから綺麗なブロンドヘアーの白人女性とスティーブン・スピルバーグ似の男性が出てきて、話しかけて来た。
「ニホンジンデスカ?」
片言の日本語を話す、その人はテレビのプロデューサーらしい。奥さんはヘアメイクアップアーティストで、なんとX JAPANのヨシキのメイクも担当したことがあるらしい。
俺は彼らにBARで開催中のパーティーに招待された。中へ入ると、DJがガンガンに洋楽を掛けて、老若男女、腰をぶつけ合いダンスをしている。皆ノリノリで、ダンスも上手い。ダンスは全くできない俺はノリに任せてはしゃぎまくった。
この空間には、言葉がいらないな、そう思った。知らない人だらけだったけど、俺を一切、よそ者扱いしないフレンドリーなアメリカ人達。そんな彼らが大好きになった。奢ってもらったビールで乾杯し、最高な一夜を過ごした。アメリカは音楽と共にある、そう感じた。
そこから、マイホームのベニスビーチのベンチで就寝した。朝起きるとホームレスのトムが話しかけてきた。ライターを借りに来たみたいだ。ライターを貸した後、昨日、ジミーさんから貰った果物を分けて食べた。その間、トムはずっと何かを俺に話していたが、英語のできない俺は2割しか聞き取れなかった。トムとはベニスビーチにいる3日間、寝床が近かったせいか毎朝会った。
その日はトムに別れを告げ、日中のベニスビーチを散策した。ここはスケボーの発祥の地であり、路上パフォーマンスやサーフィンがとても盛んだ。暖かく、ほとんど雨の降らない、透き通ったカリフォルニアの青空の下で色んな人達が自分を表現している。
日本でこんなに「表現の自由」が集まった場所を俺は見たことがない。アート、音楽、スポーツが凝縮された自由でピースフルな場所だった。色んな形で「自分」を表現する人達を見て、俺も何か自分を最大限に表せる手段で僕らしい何かを表現したいと思った。
そして、俺は路上に出た。日本から持って来た書道セットで路上パフォーマンスにチャレンジ!
「Hello! I write your dreams or favorite words in Japanese.」
自分の前を通り過ぎる人に中学生レベルの英語で話しかけまくった。ほとんどの人が笑顔で通り過ぎていく中、興味を持ってくれる人もいた。そんな人には、例のプロフィール用紙を渡して、ジェスチャーで自分を猛アピールした。そうこうしている内に、横の路上でパフォーマンスをしているおっちゃんが話しかけてきた。
彼は自分のポケットから出した1ドル札を丸めて遠くへ投げて、自分のペットの犬にそれを取りに行かせて「俺の犬は金が好きなんだ」とか言いながら、面白おかしくパフォーマンスしていた。
そんな彼がなぜか俺に1ドルをくれた。彼が笑顔で、何か言ったがその英語は聞き取れなかった。
でも、あの笑顔から察すると多分、頑張れってことを言ってくれたのだろう。
「っしゃあ!Thank you very much!」
その後も俺は沢山の人に声をかけた。中には、プロフィール用紙を目の前でゴミ箱に捨てる人もいたが、そんな微々たるものは笑い流し、めげずに頑張った。
暫くすると、中東系の家族連れのお父さんが娘の名前を書いてくれと言ってきた。初めてのお客さんでかなり興奮した。まだまだ、下手やけど、かなり気持ちを込めて書いた。そのお父さんは弾ける笑顔で、ありがとう、と拙い日本語で言った。そして、2ドルを俺に差出した。俺もまた、笑顔でありがとうと言った。
日本人留学生の男性も来てくれた。彼は京都在住で定年退職し、ロスに3ヶ月語学留学に来ているみたいだ。今月いっぱいで日本に帰るらしく、また日本で会おうと約束した。六十三歳から英語を一から学び始める彼の姿は、実年齢よりも若く、目はキラキラしていた。何か新しい事を始める時に年齢なんて関係ない。タイミングはいつも今なんだ、彼は人生を背中で語っていた。
それから3日間、俺はベニスビーチで日が暮れるまで路上パフォーマンスをした。1日6ドルにも満たない稼ぎだったが、俺は沢山の人から、お金では表
られない素敵な笑顔と勇気を頂いた。
≪監禁生活!?≫
ベニスビーチで出会った韓国人男性のキムさん。仕事を探していると彼に話すと、給料は出ないが食事付きで彼の家に泊らせてくれるとのこと。その間に旅のプランでも立てたらどうかと、キムさんは提案してくれた。
早速、行くことに決めた俺は、キムさんに連れられて、北ハリウッドにある彼のビジネスハウスに向かう。プール付きのアメリカらしい広い家だった。
キムさんが言うには、もう一人、たかしという日本人がそこに住んでいるらしいのだが、彼は今、日本に帰っていて家を空けているとのことだった。だから俺は彼の部屋を使わせてもらう事になった。たかしさんが住んでいるせいか、その部屋だけではなく、家には日本の物が置かれていた。
書斎へ案内されるやいなや仕事の説明を受けた。どうやら、中国の漢方薬の元となる葉と種の枯れた部分をピンセットで取り除く検品作業のようだ。これなら英語のできない俺でもできる。
作業から6時間が経過した。まだ、終わりの合図がない。その間、キムさんは、たまに見に来ては、風のようにどこかへ行ってしまう。ディナータイム30分と言われ、日本の野菜カレーをご馳走になった。アメリカへ来て、日本食は最高だと再認識した。キムさんは俺のためにわざわざ日本食を作ってくれているのだろうか。とてもありがたい。
食べ終わると仕事へ戻った。その日は、そのまま深夜2時までぶっ続けだった。
作業中は、アメリカのポピュラーソングがヘビーローテンションで部屋に流れている。この曲、何回目だ?何度も、何度も、こんなことを考えながら、音楽と共に機械的に手を動かし続けた。
単純作業を長時間こなすことは想像以上にハードだった。
次の日は、朝、昼、夜の30分の食事タイムを除いては、朝10時~深夜2時までの13時間労働。食事はいつも日本食だった。たかしさんがキムさんに教えたのだろうか、かなりの腕前だった。いずれにしても有難かった。
その間、一歩も外へ出ていなかった。むしろ、作業机から離れることもなかった。軟禁よりも監禁の方がしっくりくる。異国の地に一人、薄暗い書斎の中、黙々と作業をしていると、寂しさがこみ上げてくる。この先の旅を思いやった。
そんな時、日本の仲間、家族を思い出し、仲間から貰った手紙の束をバックパックから取りだした。その中に1通、「泣きそうになったジョーへ」と表に書かれた手紙があった。
本当に自分が苦しい目に遭うまで、開封する気はなかった。まだ読んでいない手紙であったが、俺はそれを見る度に元気が湧いた。仲間への感謝をより一層、心に刻み俺は、作業を続けた。
ある時、キムさんは、俺に言った。
「アメリカは、お金社会だ。そんな国で英語なし、ビザなしでは、どこも働けない。沢山のメキシカン達(英語とスペイン語が話せる)は、アメリカに来て、生きるためにディッシュウォッシャーをして、働いている。娯楽なんて一切ない。ジョーは、今、生きるために働くってことを経験してるんだ。この時期、ロスでは、沢山のホームレスが寒さで死ぬ。
ダウンタウンのホームレスは、犬や猫、時には、自分の腕を食べて生きてる奴も居る。ジョーは、そんな社会の中に今居て、生きることは、この仕事で保証されている。だから、ジョーはラッキーなんだ。
もうこの時期(11月半ば)になると、野宿もダメだ。お金もない。どうやって、ニューヨークへ行くか、旅を生きて続けるかをちゃんと考えるんだ。
もし、ジョーがこれから先、旅中に死にそうになった時、どうしようもなく、困った時は俺に電話して来い!助けに行くからここに居る間、生きて、旅をするために計画を立てるんだ」
今回の旅でも僕は沢山の人に支えられていた。この仕事の経験は、俺にとって、特に自分(旅)を考える時だった。
≪旅に出るために働く≫
「When I can speak English very well, I will be back to meet you」
そう言って、キムさんに別れを告げた。
旅はいつも出会いと別れの連続。1週間も一緒にいたキムさんと別れるのは、正直寂しかった。でも、また会いに来る。今度は、英語がペラペラになってから会いに行く。そして、俺は北ハリウッドを後にした。
そこから俺は、1週間ほど前にサンタモニカへ行く途中に出会ったカフェのオーナーのジミーさんを訪ねた。
「ジミーさん!何でもするんで1週間、ここで働かせてもらえませんか?」
「今週の木曜日にアメリカで1番大きなイベントのサンクスギビングがあるんだ。その日まで、働いて行きな。その日にデッカイ七面鳥食って力付けて旅立つんだ!」
サンクスギビングデーは、アメリカではクリスマスよりもハロウィンよりも大きな祭りだ。その日に合わせて10日間、俺はジミーさんの店(ホットドッグ屋)で働けることになった。
この店には、毎日、沢山の人々が集まる。ホームレス、感染病患者、夫に逃げられて行き場を失ったシングルマザー、超気さくなメキシカン、うっとうしいくらいお喋りのゲイ、野心を持った青年、国籍、人種は様々。
あるアメリカ人は言った。「アメリカは、沢山の人種が力を合わせてつくっている国なんだ。だから、この国は、アメリカ人だけの国じゃなく、皆の国なんだ。」
沢山の人種の人がいるアメリカだからこそできるインターナショナルを通り越したコミュニティー空間が、このホットドッグ屋にはあった。
ジミーさんは、このホットドッグ屋を儲けのためとしてではなく、人々の憩いの場として運営していた。彼は社会的な地位が低く、食べる事さえままならない人には、無料で食事を与えた。道に迷った俺が、ここに辿り着いた、あの日のように。
俺は、このホットドッグ屋で働くことによって彼から沢山の「アメリカ」を学んだ。チップという制度があり、大資本主義国家であり、多様な人種で構成されている。歩いている人が皆、友達であるかのように気さくに話しかけてくるフリーダムな国家。
日本しか見たことがない俺は衝撃を受けた。このアメリカ社会をもっと知りたい。
ある日、ジミーさんは、言った。
「英語を覚えれば、もっともっと自分の世界が広がるぞ。何億人って人と話せる手段なんだ。英単語を理解すれば、解釈の幅ももっと広がる。
だから、英語は、翼なのさ。翼が生えれば、お
前はどこへだって飛んでいけるさ!」
今まで、知らなかったことが知りたいことに変わった。学ぶべきことが、学びたいことになった。と思うと同時に、日本のことをもっと知りたいと思った。
≪ホットドッグ屋さん≫
店での仕事は、材料を洗い、切り、皿洗い等の雑務。日本人スタッフのゆうたさんが仕事の手順を教えてくれた。
毎晩、仕事が終われば、ジミーさんやゆうたさんは俺をロスの色んな所へ連れて行ってくれた。
あるハリウッドのBARに行った時のこと。BARの前へ着いた時、俺はある事に気付いた。
パスポートを忘れたのだ。アメリカのお酒を扱う店は、日本よりもはるかに年齢確認が厳しい。ほとんどのお店の前に、いかついガードマンが年齢確認、荷物チェックのために立っている。そして、この日もいつものようにIDチェックをされる。
ジミーさんは、俺がパスポートを忘れたことを知っていたが、なぜか勇ましく僕を連れて、前へ進んだ。当然のごとく俺は、いかつい黒人ガードマンに引き留められた。
すると、ジミーさんは、ポケットから100ドル紙幣を何枚か取りだし、黙って、その黒人に渡した。俺を引き留める勇ましい手は、静かに降りて、俺達はそのまま店に入ることができた。
ジミーさんは、言った。
「It’s money talk!」
チップ社会の構図を俺は、目の当たりにしたのだった。
夜はジミーさんの持つマンションに泊らせていただいた。ジミーさんの店で働く人は、大概そこに住んでいる。
ある日の晩、俺は、いつものようにマンションに帰り、シャワーを浴びて、部屋でくつろいでいた。すると、店の先輩が入って来て、「ジョー、マリファナ一緒に吸わないか?」と俺に声を掛けた。
日本とは、違い、カリフォルニアでは、よくあることだ。俺は、葉っぱには、興味はないし、見たこともなかった。
しかし、その先輩が持っていた、初めて見るはずのマリファナを見て、俺は言葉を失った。
「俺がキムさんの所で検品していた、中国の漢方や……」
その時、俺の頭にキムさんと過ごした数日間の不可解な出来事がフラッシュバックした。
・韓国人にも関わらず、韓国の事を全然、話さない。
・謎のたかしという日本人の存在。
・俺が立ち入ってはいけない、いくつかの部屋。
・日本の料理がやたらに上手く、韓国料理を作る時間が凄く長い!
などなど。
そのことを先輩に洗いざらい話すと、その先輩は言った。
「なるほど。ジョー、その人は、キムさんではないよ。俺もよく知っているハンダさんだよ。マリファナの売人さ。」
俺のよく知るキムさんは、キムさんではなかった。
それでもありがとう。あの数日間の優しい笑顔は本物だった。
ついに、カリフォルニアを出る日、サンクスギビングが近づいて来た。楽しみだが、過ぎ去る日々を惜しみながら、時間の経過を見送った。しかし、その日はやってくる。
店には、沢山の人がジミーさんを訪ねてやってくる。ジミーさんは、皆に無料で七面鳥を提供した。この日は、俺の送別会でもあった。
「ジョー、お前はここで市民権を取って、残る気はないか?
来週から、学校へ通って、1から英語を学んで、俺の元でビジネスを学ばないか? 時が来たら、お前にマンションをあげてもいい。」
本当に嬉しい言葉やった。そして、俺はジミーさんを尊敬していた。でも、俺には、日本で待っているFREE☆PEACEの仲間が居る。もっと見たい世界がある。自ら、進みたい道がある。涙ながらに僕は断った。
ジミーさんはいつものように、そうか!そうか!と大きく笑いながら、俺にハットをくれた。
そして、俺は、次の街に向けて、小さなスケボーを手に取った。頭に大切なハットを乗せて。
つづく…。
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咄嗟 関連ツイート
階段上がっても俺タオルまだ持ってる?!( ‾᷅ゝ‾᷄ )(やべっ)ポーーーーーんっ➰□゛
的に本当咄嗟に投げてたんだけど😂😂
顔も投げ方も何事もないよ俺( ‾᷅ゝ‾᷄ )?ばりにスマートなの流石プロだなと思い…